フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

北千住物語 第一章 出会い Ⅰ

北千住物語

第一章 出会い Ⅰ


一話 美久さん、出現


 いろいろと考えた末、ぼくは一人暮らしを始める。大学の通学に便利なら実家でいいのだ。京王電鉄井の頭線神泉駅なのだから、大学はすぐ隣の駅。家族は止めなさいよ、お金の無駄よ、と止めた。だけど、アルバイトでアパートの賃貸はどうにかなりそうだし、生まれてはじめて一人で暮らすことに非常に興味を覚えたのだ。


 どうせなら、遠くが良い。それも下町が良い。北千住なんてどうだろうか?もうムチャクチャ下町だ。早速不動産屋のホームページを見てみる。


 いいじゃん?常磐線 北千住駅 徒歩10分。大学まで1時間半はかかるだろう。馬鹿かと思われるに違いない。でも住んでみたい。賃料は6.5万円。木造。6畳に4畳のロフト付き。町内会費、月額300円なんてわざわざ書いてある。町内会費を明記してあるなんてすごい。祭りだってあるだろう。一時費用で消毒料1万6千5百円だって?まさか、流行りの事故物件じゃないだろうな?早速、不動産屋に電話をかける。


「もしもし、㈱ミニミニ城北さんですか?」と電話した。女性の担当者が出た。「ハイ、そうです」と元気がいい。「あのぉ、ネットで御社の扱う不動産物件を見たので電話いたしました。兵藤と言います」「ハイ、兵藤さん、どの案件でございますか?」「ベルフォート北千住という案件なのですが・・・」「ハイハイ、ベルフォート北千住 、まだ空いております。即入居可能です」「ひとつ気になったのが、消毒料1万6千5百円と書いてあります。まさか、今流行りの事故物件じゃないですよね?」「アハハ、違いますよぉ~。前に入居されていた方が子供がおりまして、キッチンとかフロアとか消毒しないといけません。それで消毒料を頂きます」「わかりました。私は大学生です。必要書類などをお聞かせください」彼女は必要書類とか、大学生なので親の保証書が必要とか言ったので、大丈夫です、書類のpdfなんかがありましたら、送ってください、メアドはこれこれ、と言って、早速明日アポを取った。事務所の場所を聞いた。担当者は田中さんだという。とりあえず、送られてきた申請書のPDFファイルに必要事項を記入してメールしておいた。


 父親と母親とは悶着があった。「なぜ、一人暮らしを?私たちと住めないとでもいうのか?大学にもひと駅だろう?」と言うので「独立心を養いたいのです。中学高校もすぐ近くだったし、下町のことも知らない。お許しください」と頭を下げて、渋々保証書に署名、捺印をもらった。


 ぼくには妹がいるのだが、彼女は憮然としていた。「お兄、この家出ていくの?せっかく、一緒に暮らせるようになったのに!知らない!お兄なんか嫌いよ!」と言われた。「ゴメン、カエデちゃん、許して」と言うと、「遊びに行くからね!監視しに行くもん!」と宣言された。


 翌日、常磐線の北千住駅で下車、北千住駅前通りを歩いて、不動産屋に向かった。いいじゃん、いいじゃん、この下町感。ゴミゴミしていて、渋谷と違う。ワクワクする。不動産屋は左隣が北海道ラーメンの店。右隣が菓子店だった。サッシの引き戸を開けて不動産屋に入った。


「すみません、兵藤と言います。賃貸案件の件でまいりました。田中さんはおられますか?」と言うと、入ってすぐのデスクから私服の若い女性が立ち上がった。「兵藤様、いらっしゃいませ。私が田中です。お待ちしておりました。書類はあとにして、早速物件を見に行きましょう」と言われた。確かに、物件確認が先だ。彼女は、鍵束を机から出して、ジャラジャラさせながらもう店の外に出てしまった。あわてて、後を追う。


 店を出て、日光街道を右に曲がる。数百メートル歩いて、千住寿町の角を左へ。おおっと、大黒湯なんてあるじゃん!でも、結構きれいな町並みだ。もっとゴミゴミ感が欲しいがまあいいか?


 田中さん、事務服の上っ張りを着ているが、タータンチェックのミニスカート、白のブラウス、茶色のニットのベスト。ショートの茶髪で身長は160センチくらい?昔の後藤久美子にちょっと似ている。可愛い顔をしているけど、高校生のギャルと言っても通る。


 彼女が「兵藤さん、送られてきた申請書をみたんですが、神泉にお住まいじゃないですか?大学の近く。なんで北千住なんですか?」とズバッと聞かれた。ぼくは、「実家から離れたところで、下町に住みたかったんです」と答えた。


「そうなんですか。私なら渋谷がいいけどなあ」と言う。「田中さんはお生まれは?」と聞くと、「生まれも育ちも北千住です。いいなあ、渋谷」と答えた。「ぼくは生まれも育ちも渋谷だから、北千住なんてワクワクします」と言うと「変なの。お互い取替っこしたいなあ」と言う。


 そうこうする内にアパートに着いた。築8年。フロアリングも綺麗だ。消毒料が必要というのはわかる。キッチンの油汚れがひどい。でも隠れ家みたいなロフト付。気に入った。「田中さん、オッケーです。気に入りました」というと、田中さんが「決めるの、はっや」と言ったがニコニコしている。


「狭いんじゃないですか?」と田中さんが聞くと「一人ですし、このロフトの四畳で眠ればいい。天井が低くて落ち着きます。ベッドなんかいりません。マットレスで充分。必要最小限。物を持ちたくないんです」と答えた。


 さっそく店に帰って契約したいと言った。「行動、はっや」と田中さん。店に帰る道すがら「田中さんは社員さんなんですか?アルバイト?」と聞くと、「兵藤さん、この格好でギャルの女子高生とでも思った?ギャルは合ってるかもしんないけど、私は兵藤さんとおんなじ、大学の1年生。あの店の娘なの」と説明してくれた。「え?同い年なの?」とぼくが聞くと「ハイ、そうです。兵藤さんとおんなじ年」と言う。


 急に田中さんが身を寄せてきて「兵藤さん、この後、ヒマ?ねえ、飲みに行かない?」と誘ってきた。「私の周りに本郷の大学行っているヤツなんていないんだ。本郷の大学生って興味あるんだ」と言う。ぼくは逆ナン?と思った。まんざらでもない。「いいですよ、行きましょう」と答えた。


「田中さん、どこに行きますか?」とぼくは田中さんに聞いた。「どこにしようかな?居酒屋?兵藤さん、この北千住の居酒屋でいい?」
「もちろん!北千住の居酒屋!素晴らしい!」
「おかしな人!」


二話 美久さん、叱る


 田中さんが連れて行ってくれた居酒屋は、間口が三間ほどの小さな店だった。葦簀の簾が窓を隠し、食事処の提灯が下がり、居酒屋「分銅屋」の紺の暖簾がかかっていた。田中さんが暖簾をくぐって木の引き戸を開けた。


「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえた。薄水色のセーターにエプロンをした、まだ三十代前半ぐらいの女性がカウンターの向こうの調理場?板場?に立っていた。年配の板前さんを想像していたぼくは面食らってしまった。


 入口すぐ左側には畳部屋の小上がり席があった。右側はIの字の調理場と六席のカウンター。左手奥は四人がけのテーブル席が三つ。女将さんと呼ぶにはまだ若い女性が「あら、美久ちゃん、いらっしゃい。あれれ、男性同伴?彼氏さんかしら?」と田中さんに声をかけた。(田中さんは「みく」さんという名前なんだ)「女将さん、違うわよ。お店のお客さん。お部屋を見てきたの。それで、ちょっと一杯って誘っちゃったの」と美久さんが答えた。


「あら?本当?美久ちゃん、お客さんをちょっと一杯なんて誘う子だったっけ?」といたずらっぽそうに美久さんの眼をのぞき込んで聞いた。田中さんは真っ赤になって顔の前で手を左右にふって否定の素振りをした。「違います!」「まあまあ、恥ずかしがっちゃって。じゃあ、畳部屋にする?」「ええっと・・・」「畳部屋にしなさいな。内緒話できるわよ」畳み掛けるように言う女将さん。


「・・・わ、わかりました。畳部屋にします・・・おつまみは・・・そのカウンターに載っているもの全部。ビール大瓶二本、お願いします」「ハイハイ、千住っ子はメニューなんかみないものね。適当に今日のおすすめも見繕ってあげる」「ありがとうございます」


 田中さんが障子を開けて畳部屋に入った。ぼくも続いて入った。四畳半の部屋で、四人席で対面に座った。「よいしょっと・・・って、おばさんみたいね」と正座して田中さんが言う。「田中さん、いいお店につれてきてくれてありがとう」「美久です。美しいに久しいと書いて美久。美久と呼んで」「じゃあ、ぼくもタケシと呼んでください。美久さん、よかったら足をくずして。横座りのほうが楽でしょ?ぼくもあぐらだから。正座って苦手なんだ」「わかりました。じゃあ、遠慮なく」「いやあ、北千住っていいなあ」
なんて話していると、女将さんがおつまみとビールをお盆に乗せて持ってきた。「美久ちゃん、今日はねえ、ブリカマでしょう、牡蠣と白子の天ぷら、あん肝ポン酢、ほうれん草のおひたし。まず、第一弾ね。あ、彼氏さん、ビールをどうぞ」と言ってぼくにコップを渡してビールを注いだ。「女将さん、今日お会いしたばかりなんだから。彼氏さんじゃないって・・・まだね・・・」と美久さんが言う。


(まだね?まだねって美久さん、言ったの?)


「美久ちゃんもほら、照れてないで、ビール」と女将さんが美久さんにもビールをついだ。「お女将さんもどう?いっぱい?」と美久さんが聞くと「あとでね、まだ時間早いしね。彼氏さん、お名前は?」「兵藤と言います」「兵藤さん、よろしく。私は吉川(きつかわ)久美子」「女将さんとお呼びしていいですか?」「結構よ、みんなそう呼ぶのよ。まだ、若いのにね」
「タケシさん、このお店、小さい頃からの馴染みなの。お世話になっちゃって。私って、母親が小さい頃亡くなってしまって、男手一つで育ったの。だから、食事はいつもこのお店なの。久美子姉さんは私の本当のお姉さんみたいなものよ」
「ヤンチャな子でねえ。高校の頃はグレちゃって、ヤンキーしていたから心配したけど、大学に入ってお店を手伝って、エラくなったわ」


(え?美久さん、ヤンキーだったの?ギャルじゃないの?)


「女将さん、そういう内輪の話はちょっとぉ。今日もタケシさんに高校生のギャルと間違われたんだから・・・ヤンキーだなんて・・・」
「そういう格好しているからギャルとかヤンキーに勘違いされるの」
「勘違いされたのはギャルです!ヤンキーじゃありません!この格好、好きなんだもん、仕方ないでしょ」
「美久さんはヤンキー座りなんてしていたの?」
「もう、兵藤さん、ヤンキー座りどころか、友達が男のグループに輪姦されたっていうので、殴り込みに行ったりね。この子、こう見えても空手やっているのよ」と女将さんはぼくの住んでいるところではギョッとすることをサラッと言った。北千住では当たり前の会話なんだろうか?


「女将さん、やめってってば」
「あら?お付き合いしたいのなら、隠し事なしで、みんなさらけ出したほうがあとが楽なのよ。オンナとオトコの間で最大の障害になるのは秘密と嘘、この二つなんだから」
「女将さん、今日はちょっと飲みに誘っただけなんだから・・・」
「ぼくの家も母が小さい頃病死して、この前まで父一人子一人の父子家庭だったんですよ。ただ、最近、父が再婚しまして、義理の母と二才年下の妹ができたんです」
「それって、今回の一人暮らしに関係するんですか?立ち入った話ですけど」と美久さんが聞いた。
「いいえ、以前から一人暮らしをして独立心を養いたいと思っていましたので、直接の関係はないんです。単に契機になったというだけです」
「じゃあ、その再婚に感謝しないと。だって、それで賃貸を探して、私と会えたんだから」
「ぼくはなんと言っていいのかな?」
「その前に美久ちゃん、聞かないと。兵藤さんは彼女さんはいないの?」
「え、ええ、彼女と呼べるような女性はおりません」一瞬義理の妹のカエデの顔が浮かんだが、ぼくはそう答えた。
「美久ちゃん、やったね。チャンスおお有りだよ」
「お、女将さぁ~ん、もう止めて!」
「美久さん、空手やってるんですか?」
「ハイ、駅前に道場が有って通ってます。ヤンキーだったから、後輩を守らないといけないし、強くなりたかったんです」
「ぼくも合気道をやっているんですよ。下手っぴですけど。こういう陰キャな性格で人付き合いが苦手なので・・・」
「タケシさん、どこが陰キャなの?ぜんぜん、陰キャじゃないじゃない?」
「オタク趣味だし、友達は少ないし、一人でボケ~としているのが好きなんですよ。第一、グイグイ攻めてくる美久さんにいいでもなく、悪いでもなく、受け身で接しているぼくは陰キャでしょう?」と、ちょっと反撃。
「タケシさん、それはいけない!私と遊んでくれるなら、外の世界が開けるわよ?」と動じない美久さん。
「うん、お願いします」美久さんとだったら新しい世界が開けるような気がしてきた。憤然としてぼくを睨む義理の妹のカエデの顔が浮かんだが、気にしない気にしない。


「まあまあ、ふたりともいい調子じゃない?じゃあ、おばさんは消えるわね」
「あ!女将さん、お酒!タケシさん、日本酒飲まない?」
「いいですよ、日本酒好きです」
「やったぁ。女将さん、諏訪泉、二合徳利でお燗して、二本!」
「呑むわねえ・・・ハイハイ、呑み過ぎちゃあダメよ」
「わかってます!お願い!」


「美久さん、さっき女将さんの言っていた輪姦とかさ、よくあるの?風紀が悪いの?」
「うん、ハッキリ言ってすごく悪い。え?タケシさん、住みたくなくなった?」
「ううん、問題なしだよ」
「良かったぁ~!あのぉ、足立区って、町田と同じくらい風紀が悪いのよ。昔っから」


 美久さんによると、昔っから暴力団の組事務所が乱立していて、抗争が絶えないのだそうだ。昔は、住吉会がシマを仕切っていたが、最近では、六代目山口組系の静岡県の暴力団が本部を移転しようとする動きがあって、地元の松葉会系の暴力団とトラブルになっているのだそうだ。しかし、警察の取締が厳しく、そういう既存の暴力団よりも、半グレの方が摘発されない分だけ、暴力団よりものしているらしい。関東連合の流れを組む連中とか、怒羅権(ドラゴン)という首都圏を拠点とする中国残留孤児2世3世や中国人からなるグループがしのぎを削っているそうなのだ。彼らの資金源は、ドラッグや売春。友達が輪姦されたのもそういうグループの末端の連中だったと美久さんは説明した。


「だから、タケシさんも気をつけてね。タケシさん、育ちが良い印象だから、彼らに絡まれそう。大丈夫、美久と一緒なら、美久がのしちゃうわよ」
「美久さん、それはそうと、ぼくなんかがなんでいいの?」
「一目惚れ。理屈がいる?」


 日本酒をさらに二本空けてしまった。美久さんはお酒強い。暫く経つと女将さんも合流して、美久さんの武勇伝をたくさん聞いた。スゴイぞ。ヤンキーの女の子に一目惚れされるなんて、ぼくの人生で画期的だ。さんざんに呑んで、払いをぼくが私がともめて、じゃあ、次は美久さんが払う番だよ、ということでぼくが払って決着が着いた。


 分銅屋を出て、私送っていく、というので、北千住の駅まで美久さんと一緒に歩いた。「タケシさん、腕くんでいい?」と聞かれた。「ハイ、恥ずかしいけれど・・・」と言うとぼくの右手に美久さんがしがみついてくる。彼女の胸があたってドキドキした。「私、こんなの初めてなんです」と恥ずかしそうに美久さんが言う。「え?」「彼氏なんていたことなかったし、男性と腕を組むなんて初めてなんです。恥ずかしい。けど、一目惚れなんだから」


(ウソ?初めてでこうグイグイくるの?ヤンキーってそうなの)


 しばらく歩く。狭い道が続いた。下町らしく、住宅、レディスの洋品店、和菓子屋、おもちゃ屋、揚げ物屋が並んでいた。すると、向こうからどう見てもヤンキーだろ?という女性の三人組が近づいてくる。金髪に黒マスク。ケバい服装。三人組は僕たちの正面で立ち止まった。美久さんが慌ててぼくにからめていた腕を振りほどく。


 三人組の一人がお辞儀をした。「ネエさん、おばんです」残りの二人も「あねさん、おばんです」と言って美久さんにお辞儀をする。


 すると、美久さんが一歩前に出て、最初にお辞儀をした女の子の耳をつかんで、引っ張っていってしまった。「こら、ネエさんなんて言うな!私は卒業したんだぞ。知らんぷりして行っちまえばいいのに!バカヤロ!」と小声で叱っている。「ネエさん、失礼しゃーした。でも、彼氏さん連れで?」と怯まず女の子も美久さんに聞く。「こら、節子!彼氏さんとか立ち入って聞くんじゃねえ」と美久さんは低い声で言った。


「美久さん、お知り合いの方ですか?」とぼくは近寄って美久さん聞いた。
「いえ、単なる後輩です、高校の後輩・・・」と下を向いてしまう。「そうですか?みなさん、美久さんとは今日あったばかりなんですが、意気投合しちゃって。兵藤です、よろしく」とぼくは三人組にお辞儀した。三人組は「兵藤にいさん、よろしくおねがいしゃーす」と元気よくお辞儀して「失礼しゃーした。あねさん、また」と美久さんに一礼して行ってしまった。


「タケシさん、すみません」
「いえいえ、美久さんは人望があるんだ。なんのグループだったんですか?」とぼくが聞くと美久さんが「・・・え、えっと、バイクのグループの・・・レディスの総長を・・・」と蚊のなくような声でいった。
(女将さんに「オンナとオトコの間で最大の障害になるのは秘密と嘘、この二つ」と言われたもの。正直に話そう、と美久は思った)


「スゴイ!」とぼくが言うと「・・・私に、げ、幻滅しないでください」と下を向いて言った。「幻滅も何もゾクゾクします」「は?はい?」「だって、美久さん、スゴイや。そんな女性と知り合えるなんてぼくの人生でなかったもの。こんな機会はじめてです。素敵だ」


 美久さんはまた腕を組み直してぼくの方を上目遣いに見上げて「タケシさん、あなた、おかしな人。本当に陰キャなの?」と言って、ぼくの腕をギュッとつかんだ。


三話 楓ちゃん、なじる


 日本酒を八合飲んだ。ぼくも弱いほうじゃないけれど美久さんは強い。半分以上美久さんが飲んだのだ。いやあ、なかなかスゴイ女の子と知り合った。おまけにヤンキーグループの元総長で、それなのに見かけはギャルの美少女。初日にヤンキーの三人組にぼくは「にいさん」とか呼ばれて。ぼくの人生で画期的だ。世界が変わるような気がする。


 切符売り場でどの経路が一番近いんだろうか?と考えていると、一緒に来ていた美久さんが「タケシさん、普通の時間ならメトロ千代田線で表参道か大手町で半蔵門線に乗り換えればいいんだけど、もう12時だから、常磐線で日暮里まで行って、山手線に乗り換えればいいと思う。値段はJRの方が50円くらい高いけど」と助言してくれる。頭の回転いいなあ。ぼくがどの路線で行こうかな?と考えていることを先回りして答えてくれる。「美久さん、よくぼくが考えていたこと、わかったね?」と聞くと「だって、惚れたオトコのことはわかるんだもん」と下を向いてボソッと言う。


「美久さん、ありがとう。今はなんとも言えないけど、まず、友達としてお付き合いしてください」とぼくは意を決して言った。酔ってなければしどろもどろになっていたはず。「タケシさん、私、それでいい。まず、友達。もっとお互い知り合わないとね」「そうそう。明日も来るから」「え?」「えっ、て、賃貸の契約を終わらせて、電気水道ガスとエアコンの手配をして、家具を買うんだから明日も来るよ」「あ!ごめんなさい。そっちの方を終わらせないとね」(しまった、自分のことばっか、考えていた。仕事だよ、仕事!と美久は心の中でベロを出した)


 ぼくはちょっと考えた。朝方来ると賃貸の手配をやっても、午後すぐに終わっちゃうだろ?そうなると、美久さんも仕事があるから・・・「美久さん、明日、午後の3時頃来ます」と下を向いている美久さんに言った。美久さん、急に顔をあげてニコッとして「午後3時。了解。じゃあ、あれこれやっていると5時過ぎちゃうね?」と言う。なんだ、似たようなこと考えていたのかな?「そうそう、それなら美久さんも仕事終いできるから、また分銅屋でいっぱいやろうよ。今度は美久さんの払いの番だぞ」「も、もっちろん。やったぁ。明日への希望がわいてくるぞっと」


 ぼくらは改札口で手を握ってバイバイ。「美久さん、夜も遅いし、帰り気をつけて」「おまかせ、おまかせ。大丈夫。慣れてるもん。タケシさんも気をつけてね。また、明日」「また、明日ね、美久さん、バイバイ」


 意外と早かった。常磐線の00:25上野行きに乗って日暮里で山手線に乗り換えて渋谷には01:07着。なんだ、35分じゃないか。渋谷からの京王井の頭線の最終は00:45だけど、渋谷駅から神泉まであるいですぐだ。渋谷署の前をわたって、裏渋谷通りを歩き、神泉駅からちょっと歩くとぼくの家だ。いや、父の家だ。1時半には家に着いてしまった。


 そぉ~っと玄関の鍵を開ける。ドアを開けた。靴を脱ごうとしていると、目の前に人の影が玄関照明を遮った。顔を上げると義理の妹のカエデちゃんがスクっと腕組みして立っている。玄関の上がり框に立っているので、身長170センチのカエデちゃんは身長176センチのぼくを見下ろしていた。ぼくを睨んでいた。何かわるいことぼくは彼女にしたんだろうか?


「お兄、賃貸を見に行くと言って、午後出ていって、帰りが午前様?何時だと思っているの?どこにだれと行っていたんですか?」と問い詰められる。
「いや、あのカエデちゃん、不動産屋の担当者の人と飲んじゃってさ・・・」


 カエデちゃんはぼくの父が再婚した相手の連れ子だ。義理の妹だ。高校二年生。美久さんが後藤久美子似ならカエデちゃんは若い頃の水川あさみ似だ。顔が似ているだけでなく、性格だってキツイ。肩幅が広く四肢が長い。日本人に珍しく膝からかかとまでが長い。高校の陸上部。陸上選手体型だ。ぼくだって脚は長いほうだが彼女には負ける。


「ほら、お兄、あがって。どういう部屋だったか私に説明するの」と腕を引っ張られてダイニングのテーブルに座らされた。「だいたい北千住って、どうして?下町じゃない?ここから遠いし。あまりいい場所じゃないでしょ?ヤンキーだっているんでしょ?」と言う。ぼくはドキッとした。そのヤンキーのレディスの総長と一緒だったんだから。「ほら、お水」とカエデちゃんが水の入ったコップを差し出した。ぼくはゴクゴク飲んだ。ぼくは適当に部屋割りとか設備を説明した。


 顎に手を当ててテーブル越しに「ふ~ん」と言う。「契約しちゃったのね?」「ハイ、いたしました」「しょうがないなあ。それで、すぐに引っ越すの?」「まあ、今週中に。荷物だってそんなにないだろう」「引っ越し、平日はよしてよね。春休みの陸上の練習があるから。今度の日曜日に」「いいよ、その前に本とか身の回りのものは送っちゃうし」「ダァメ、私も手伝う!」


 なぜ妹に問い詰められなければいけないんだろうか?あれ?しかし、ヤバいぞ。日曜日に美久さんが来なければいいけど、来たらカエデと遭遇。ヤバいじゃん?ぼくは雰囲気としてヤバそうと思った。ゴクミと水川あさみがにらみ合う光景が目に浮かんだ。


 カエデちゃんを適当にあしらって「もう遅いから寝ようよ」と言って、二階のぼくらの寝室に行く。ぼくらのと言っても僕の部屋と彼女の部屋が二階にあるだけ。一緒の部屋ってわけじゃない。一階は両親の部屋がある。血のつながっていない兄と妹がこの配置はダメだろ?と最初は思ったが慣れてしまった。「カエデちゃん、おやすみ」「お兄、おやすみ」と左右に別れて部屋に入った。明日は午前中にネットで物色して、午後、家具を選んで、冷蔵庫と洗濯機を買うんだから。美久さんも一緒に行ってくれればいいなあ、と思ってぼくは着替えもせずに寝てしまった。


四話 美久さん、泣く


 翌朝、二日酔いもせずにバッチリ7時に目が覚めた。目が覚めると同時にノックもせずにカエデが部屋に入ってくる。「お兄、おはよう。起きないと・・・って、起きてるね。よく起きられたね」と言う。「カエデちゃん、ノックぐらいしてよ」と言うと、「別に兄妹なんだから、いいでしょ?」と言う。「朝食、作っておいたわ。私、朝練から開始だから、もう出かける。お兄はどうするの?」と言う。


「ぼくは、家具とか家電とか見に行ってみて、電気水道ガスやエアコンの手配をしに北千住に行ってくる」と言った。「まったく、早く家を出ていきたいみたい。カエデといるのが嫌なのね?」と言う。「そんなことあるわけないじゃないか?決めちゃったんだから、さっさと済まそうというだけです」「まあ、いいわよ。お兄の決めたことですから。じゃあ、朝食の後片付けはお願いね」と言い捨てて部屋を出ていってしまう。玄関のドアがバタンとしまった。


 父も(義理の)母も出張で家にいないのだ。妹とは言え、義理の妹。それも美少女の高校二年生と一緒の家では少々モジモジしてしまう。


 まったく人の気も知らないで。「早く家を出ていきたいみたい。カエデといるのが嫌なのね?」だって?違うよ、カエデちゃん、「カエデといるのが嫌」じゃなくて、「カエデを好きになってしまったら、というのが嫌」なんだ。男の子の気も知らないで、何をいっているんだ、この女の子は。


 時々、休日にカエデちゃんと買い物に行ったりするけれど、最近どんどんボディータッチが激しくなってきた。昨日も美久さんは腕を組んで胸をおしつけてきたけど、似たようなものなのだ。頭が沸騰してしまう。ドキドキする。


 ぼくは童貞なんだ。年齢イコール彼女いない歴というわけじゃない。一線を超えないだけで、一応の経験はある。一線を超える機会だってなかったわけじゃない。だけど、古風なのかなあ、一線を超えるほど好きになるというのがどういうことなのかわからない。もしも、一線を超えるほど好きじゃないのがわかった相手と一線を超えてしまったら、相手に失礼だし、ぼく自身の感情の持って行き場がわからないのだ。だから、ぼくは童貞なんだ。


 でも、カエデちゃんや美久さんだと、その決意がどうなるかわからない。予感がするのだ。来年度は大学二年になる。いい契機だし、一人暮らしという理由もある。美久さんにはこの理由は言わなかったな、と思い出した。


 手早く、シャワーを浴びて着替えをした。ネットでミニマリストのサイトから、家具や家電を見ていった。物を持ちたくなかったし、家から本なんかをあまり持って行きたくなかった。パソコンが有れば大概は用事は足りるのだ。部屋はそのままでいいよ、と両親は行ってくれている。その内帰ってくるんだろうと思っているようだ。ぼくにもそれはわからない話。


 ネットではいろいろ出ていた。北千住の駅近くに家電量販店とか家具屋はたくさんあるが、設置の必要のあるエアコン以外、ミニマルの最新型の家具や家電はもっと大きな量販店がいいだろう。北千住マルイの七階に東急ハンズがあるが、小さい店だから品揃いが乏しい。


 ネットではいろいろと書いてある。「ミニマル(Minimal)とミニマム(Minimum)は違う」ふんふん、なるほど。洋服などは作り付けのクローゼットで充分だ。プラスチックコンテナで仕分けして押し込めばいい。吊るすとスペースが無駄だ。リビングとダイニングはないんだから、六畳間は伸縮自在のテーブルを置く。テレビはノーパソのセカンドテレビと兼用の壁掛形だ。天井から床までのアクセサリーで壁に釘を打たなくても済むようにしよう。チュナー付きでもったいないがNHKとは契約。ワイヤレスHDMI送受信機セットを買って、ケーブルとはおさらば。ベッドはいらない。マットレスで充分。ロフトの四畳で寝ることにする。キッチンはできるだけ少ない調理用具でまかなう。電子レンジはいるな。これは大容量としよう。よし。


 などと構想はできた。1時半になってしまった。美久さんには3時と行ってある。もうでかけよう。井の頭線で渋谷に出て、美久さんの推薦のようにメトロで移動したら1時間弱で着いてしまった。早いけれど美久さんのお店に行く。


「こんにちは~」とお店に入ると、美久さんがいた。いたんだけど・・・
「美久さん、そのファッション。ギャル系はどこに行ったの?」とぼくは驚いた。落ち着いた格好をしているんだもの。おまけに髪の毛を黒に戻している。


「え?タケシさん、に、似合わないですか?」と聞くので「似合うも似合わないもぼくの好みなんですけど」と言った。
「本当?お世辞じゃなく?」と真っ赤になった。「うん、お世辞なんてマイクログラムもないです」と答えた。「あ、ありがとう。こんな格好どうかな?なんて思っちゃって。イメチェン」
「ちょっと早いけどいいですか?」とぼくが聞くと「電気水道ガス、ここに捺印と署名するだけ」と書類を出した。「え?手続きしてくれたの?」「うん、早いでしょ?早く済ませれば、買い物一緒にできるかと思って。差し出がましかった?」というので「ありがとう。思っても見なかった」と答えた。全部の書類に捺印・署名する。


 美久さんによると、エアコンはあのアパートの出入りの業者さんがいつも工事するそうだ。六畳間に設置すれば上のロフトまで冷えるとのこと。工事費は本体含めて6.5万円。新聞とNHKは係員が押しかけてくる。保険屋もおしかけてくる、とのこと。敷金・礼金はこれだけ。というので、ATMで30万円おろしてきたけど充分余ってしまった。


「あれれ、20分で済んじゃった」「イヤじゃなかったら、私と一緒に買い物にいけるでしょう?」「もちろん、全然イヤじゃないです」「じゃあ、行きましょうか」と言って、お店の奥の方に「お父さん、お客さんと外出してきます。引っ越しのお手伝いです。お店、お願い」と怒鳴った。奥から美久さんのお父さんが出てくる。ウールのズボンに横縞のセーターを着た、ぼくが勝手に思っている典型的な不動産屋のオヤジが出てくると思っていたら、アイビールックの男性がパイプをくわえて出てきたのだ。驚いた。


「ああ、いらっしゃいませ。美久の言っていた学生さんだね」とぼくをジロッと睨んで品定めして、ニコッと笑った。「なんだ、美久、おまえと違う世界の人みたいじゃないか?と、おっと失礼」とぼくに一礼した。「そうか、それで、今日はそんな恰好なんだな。わかった、わかった」と美久さんに言った。「お父さん!何がわかったのよ!とにかく行ってきます!」と美久さんは言うとぼくの腕を引っ張って店を出た。


 ぼくは父と同じく流行にとらわれない。昔ながらのアメトラの服装。今日の美久さんもぼくとマッチしたファッション。だれが美久さんをヤンキーとかギャルと思うだろうか?絶対に大学生のカップルそのものだ。


 行きがてら、美久さんに家具と家電の構想の説明をした。それで駅の近くの量販店から初めて、銀座と東京に出て、家具と家電を買っていった。今度の土日に送ってもらう手配をした。最初から、美久さんはぼくに腕を絡めっぱなしだ。恥ずかしい。


 普段は買い物など、家を出る前から買うものを決めているので、あっという間に終わってしまう。でも、美久さんといると、あれもみて、これもみて、関係のない美久さんの好きな小物を見て、という感じで楽しめた。デパートも行こうよ、と美久さんが言うので、デパートに行って、見て歩く。


 小物屋に季節外れのクリスマスのスノーボールがあった。彼女が手にとって、じっと見ているので、取り上げてキャッシャーに持っていった。店員さんに「ぼくの好きな女の子へのプレゼントなんです。綺麗にラッピングできますか?」と聞く。キャッシャーに近寄るでもなく、美久さんはその会話を聞いていて、耳まで真っ赤になった。


 店を出た。ラップされてリボンを付けられたスノーボールの入っている紙の手提げ袋を美久さんに差し出した。「ぼくの好きな女の子にって包んでもらったんだ。スノーボールがその女の子の手元に行きたい、って言っているから、もらってください」と美久さんに手渡す。


 美久さんは、ビックリしたことに涙目になっている。「私、私、彼氏からスノーボールをプレゼントされるのが夢だったの。大事にします」と受け取って片手に手提げ袋をかけて、鼻をすすった。


(ヤンキーってこんなに可愛いんだっけ?信じられない)


五話 美久さん、蹴る


 それから、カフェでコーヒーを飲んで、彼女とぼくの話をずっとした。あっという間に夕方になった。「美久さん、行こう、分銅屋。今日は美久さんの払いの番だよ」というと、「よし、行きましょう」と言って「タケシさん、ありがとう。美久、タケシさんが好きです」と下を向いて真っ赤になった。一日になんど真っ赤になるんだろう、美久さんは。


 昨日と同じく分銅屋。6時半に着いてしまった。暖簾をくぐってお店に入った。「こんばんは~」と美久さんが言う。「いらっしゃいま・・・」で女将さんが言葉を飲み込んで、眼を見開いて美久さんを見る。


「あなた、美久ちゃん、その格好は!そんな服、着たことないじゃありませんか?」と言った。美久さんの後から店に入ったぼくを女将さんが見て納得したようにうなずいて、「まあまあ、男は女を変えるって、よく言うけど、三十数年生きてきて、それにピッタリの場面を見るとは思わなかったわ」とうれしそうに笑った。「何よ、姐さん、似合わないと思うの?」と美久さんが突っかかる。「ピッタリよ、お似合いよ、ふたりとも」と女将さんが言った。「今日は畳の部屋は予約ありで、カウンターよ」


 カウンターには既に男女の二人組がいた。六席あるカウンター席で奥に座っている。手前が女性だ。ぼくが間の席ひとつ空けようとすると、美久さんが「あ!南禅さんに羽生さん!お久しぶりです」と言った。「タケシさん、南禅さんの隣に座って」と美久さんが女性の隣の席を指差す。


 その南禅さんと呼ばれた女性がぼくらを見上げてニヤッとして言った。「あら、美久ちゃん、ついに彼氏さんができたの?ファッションまで変えちゃって、どういう心境の変化?」羽生さんと呼ばれた男性も「おいおい、筋金入りのヤンキーはどうしたの?」と美久さんに言う。


 彼らの発言を無視して、美久さんが「タケシさん、この方が南禅久美子さん、こちらが羽生健太さん。こちらは兵藤武さん。うちの賃貸のお客様です」とすまして言う。ぼくの耳に口を近づけて「タケシさん、実はね、この二人、おっかない自衛隊の二等空佐って人たち。南禅さんは私と同じ空手道場に通っているの」と言った。ぼくはあわてて「兵藤です。よろしくお願いします」と挨拶した。


 それから、女将さん、南禅さん、羽生さんが美久さんのファッションをからかうことひとしきり。「格好変えても中身はかわらないよ」と羽生さんが言ったり、「馬子にも衣装ね。兵藤さん、騙されちゃあダメよ。彼女は生粋のヤンキーだからね」と南禅さん。「でも、まあ、今の格好は誰が見てもヤンキーとは思わないでしょうね」とニコニコして女将さん。「みんな、止めてよ、もう」と憤然とする美久さん。


 ぼくらはビールをもらって、おつまみをいただき、ぼくの一人暮らしの話やら今日の買い物の話をした。8時半くらいになっていた。


 ガラッと引き戸が開いた。誰かな?とみんなが振り返ると、確か昨日すれ違って挨拶したヤンキーの三人組の一人がお店に入ってきた。彼女が美久さんを見て「あねさん、お楽しみのところ申し訳ありません」とお辞儀して言った。美久さんが「もう、佳子、あねさんとか言うな。卒業したんだ、ヤンキーは」と言うと、佳子さんの様子がおかしい。「あの、節子と紗栄子が拉致(らち)られまして。男四人で囲まれて・・・」と彼女が美久さんに言うと「なに?どこに拉致(らち)りやがった?」「千住ほんちょう公園の方です。男四人で多勢に無勢で、私は・・・」「わかった!」と鉄砲玉のように店を駆け出してしまった。


 あっけにとられたぼくは佳子さんに「千住ほんちょう公園ってどこ?」と聞く。「店を左に出て、まっすぐ三百メートル、アーバイン東京ってホテルの角を左に曲がったところです」「わかった!」とぼくも飛び出す。


 店を出て、左手を見る。美久さんはパンプスをはいていたが、もう後ろ姿が見えない。ぼくは必死に追いかけた。公園について見回す。左右に細長い公園だ。もう真っ暗だ。キョロキョロしていると、女の子の声が聞こえた。「離せよ、バカヤロー」声の方に走る。するともう美久さんが昨日の節子さんと紗栄子さんを羽交い締めにしている男二人組みに対峙していた。


 彼女はなにも言わずに突っ込んでいく。左の男が殴りかかって、拳が彼女のほほにむかう。すると、彼女はスルッと拳をかわしてあっという間に足を180度開いて、相手の頭頂部に踵落としをお見舞いした。相手が崩れ落ちるが、それも見ずに、右の男に水面蹴り。相手の胸に突きをいれた。


 佳子さんが四人組と言ったな。だんだんと夜目になれてきたぼくは左右を見回す。美久さんの後ろ、左右から近づく二人が見えた。ぼくは彼らに駆け寄る。飛び上がって左の男の背後に着地する。気配に振り向く男の肩を回す。合気道の受け止め、受け流し、躱すだ。相手の頭が回る瞬間、後頭部を持って、相手の側頭部のこめかみに頭突きを食らわす。


 前頭部なんか固くてダメだ。口は歯が飛び散るし、こっちの額も裂けるかもしれない。弱い側頭部を攻めるのだ。左の男おしまい。右はちょっと離れている。飛んで距離を縮めた。膝を折って相手を見上げる。相手が右手で殴りかかるのを受け流して手を引いた。相手が倒れかかるそのスキに後頭部にゴツンと見舞ってやる。


 ぼくが立ち上がると、美久さんがぼくを唖然として見ていた。「タケシさん、あんた・・・」と言った。「あ?ああ、これ?兵藤家って、ジュラシックパークの頭突きの恐竜並に頭が遺伝的に硬いんですよ。おー、痛い。手足使うと痛いからね。合気道の受け流しだけじゃ実践ではけりがつかないから、頭突きってわけ」と説明した。ちょっと額がひりひりする。


 節子さん、紗栄子さんと佳子さんが抱き合って泣いている。そして、「ネエさん、兵藤にいさん、ありがとうございました。助かりました」とお辞儀をした。


 南禅さん、羽生さんと佳子さんがハァハァいって近寄ってきた。「え?もうのしちゃったの?早いわねえ。私達に残しておいてくれたっていいのに?」と南禅さんが言う。「兵藤くん、あっという間にやったな。頭突きとはね。美久ちゃんはかかと落としだし。キミらお似合いだな」と羽生さんがぼくたちに言った。


 それから女将さんが通報した警察が来て、四人組の男たちと、三人組のヤンキー、美久さんとぼく、南禅さんと羽生さんという大人数が事情聴取を受けて、きつく絞られた。未遂だし、相手が伸びているので、「調書は明日だ。キミら、出頭してくれるね?」と警官に言われる。ぼくが「はい」と答えると、警官は美久さんの方を向いて、「こら、美久、卒業したんじゃなかったのか?」と尋ねる。「いえ、後輩が拉致られましたので、どうしようもなく・・・」と美久さんは答えた。「ふ~ん、まあ、被害者側だしな。お咎めはないよ」と言うと、持っていた懐中電灯で美久さんの頭から脚まで照らして、「美久、おまえ、卒業したは良いが、どっかのお嬢さまみたいに化けやがって。ははぁ~ん?この兵藤さんが理由か?」と言った。「今晩はお巡りさんまで私の格好をからかうの!」と怒鳴る。「おいおい、怒鳴るな、怒鳴るな。兵藤さん、美久はこういう子だけど、根はいい子だから、大事にしてやってください」とこういうと敬礼して四人組を引っ立てて行ってしまった。


 全員で分銅屋に帰ってきた。え?まだ9時半だよ。あっという間の出来事だった。みんなでビールとジュースで喉を潤した。まだ、興奮しているヤンキー三人組が女将さんに説明している。自衛隊組はニヤニヤして、ぼくと美久さんを眺めていた。


 美久さんがぼくに向き直って「ありがとうございました」とお辞儀をする。「なんてことはないですよ、美久さん。南禅さんと羽生さんも駆けつけてくれたし、どっちにしても勝てた喧嘩です」


「いいえ、タケシさんがやってくれなかったら、私、やられていたかもしれない・・・」また、美久さんが涙目になった。
「タケシさん」涙目で湿った声で美久さんがぼくの眼を見た。「はい」とぼくが答えると、美久さんが、「わ、私と、け、結婚してください!」と言った。


 女将さんも三人組も自衛隊組も振り返って目を見開いてぼくらを見た。


「え?」なんだ?どうしたのだ?ぼくは言葉もなかった。


六話 美久さん、焦る


 土曜日の午後、大学の講義がなく、ぼくは北千住を散歩していた。美久は用事があって夕方になるまで帰ってこない。街をブラブラして、古びた看板のお店があるとスマホで撮影していた。狭い道をあちこち歩いていると、美久の後輩三人組が向こうから歩いてきた。ぼくを見かけて三人組、駆け寄ってきた。


「あに・・。いや、兵藤さん、こんちわっす」
「節子、紗栄子に佳子、こんにちは」
「あれ?あねさんは?」
「今日は用事があって夕方頃に戻ってくるって言ってたよ」
「それで、兵藤さん、プラプラしてるんすね?」
「うん、街を見て歩いて見たくなってさ」
「そぉっすか」
「キミらは何してるんだい?」
「わたいらもすること無くてブラブラしてます」
「ふ~ん、そうか。じゃあ、やることない同士でお茶でもするか?」とぼくが言うと、三人組の中では頭の節子が「お~、いいっすね」と答えた。
「どこがいい?キミらの方が知っているでしょ?」
「じゃあ、コメダ珈琲でどうっす?広いっす。ソファーもある」
「あ、そこ行こう」


 というわけで、本町センター通りのぶっくらんどの二階にあるコメダ珈琲に行くことにした。


「みんな、なんでもいいよぉ~。バイト代も入ったし、おごるよ」
「ゴチになりま~す」と三人組が声を揃えた。彼女らはメニューを見てワイワイと、純栗ぃむがうまいぞとか、とびきりアーモンドにしようとか、シロノワールくまもとモンブランが最高とか言って注文。ぼくもアイスコーヒーを頼んだ。
「しっかし、兵頭さん、どうです?あねさんとは?」と節子。
「うまくいっているよ」
「あの、どこまでいきました?」と節子はズバッと聞いてくる。
「どこまでって、ああ、ええっと、ハグしてキスした」
「なぁ~んだ。そんだけ?それなら、いつも見せつけられてるあれ、どうにかならないっすか?こそばゆくて」
「あれはしょうがない。美久が潤んだ目で見つめるんだから」
「アメリカ人じゃああるまいし、ひと目を気にせず、すごいっす。それで経験なしなんだから」
「そう言っただろう、ぼくらは童貞と処女のコンビなんだよ」


「しないんですか?・・・セックス?」
「する時は結婚する時かなぁ~」
「もったいない」
「そんなこというキミたちは経験あるの?」
「わたしは中学の時に捨てちゃいました。じゃまだから。紗栄子は高1で輪姦された後、何人かと。佳子はついこの前かな?」
「へぇ~、みんなしてるんだ」紗栄子ちゃん、輪姦されたのに大丈夫なのかな?って、(輪姦された)なんて、北千住に慣れてきたのか?ぼくは?
「してないのはあねさんくらいのもんですよ。生真面目っていうか、純情一途というか、兵藤さんがいなかったら未だにチューもしてませんよ」
「生真面目だもんなあ、美久は」


「兵藤さん、この前、わたしらが拉致られた時、あねさん、踵落とししたでしょう?」
「うん、見事な踵落としだった」
「あれ、絶対、相手はあねさんのパンツ見ましたよね?」
「アハハ、そりゃあ、180度開脚してドンだから、丸見えだったろうね」
「でもなあ、あねさん、パンツ、地味だからなあ」
「ぼくは美久のパンツを見たことないよ。知らないよ」
「兵藤さん、色っぽい下着買ってやりなよ」
「そ、それは女性に下着を買うってことは意味合いがあるでしょ?マズイよ」
「そうかなあ、下着くらいいいじゃん?」


「あの、そう言えば、節子、キミのパンツも見えてるんだけど、隠してくれない」
「見ていいっすよ。減るもんじゃなし。ちゃんと今日もシャワー浴びてはき替えてきましたから。きれいなもんですよ」
「いや、刺激が強い。美久に怒られます」
「あねさんもそういうとこ、融通がきかないからなあ。兵藤さんも律儀ですねえ。だまって見てればいいのに」
「いや、節子もそう安易にパンツ見せちゃダメだよ」
「変なの。減らないのにねー?」と節子が紗栄子と佳子に同意を求める。ふたりともウンウンとうなずく。北千住って、高校生がパンツ見せてもいい土地柄なのか?


「兵藤さん、面白いことないっすか?」
「面白いことねえ・・・えーっと、あ!思いついた!」とぼくは節子の顔をのぞき込んだ。
「なんです?」
「紗栄子、佳子、節子はキレイだよな?マスクとったらよくわかった。美人だよね」
「ええ、かなり美人だと思うっす」と二人が同意する。
「そうだよな。紗栄子、佳子、この近所に美容院ある?」
「ありますけど・・・」と佳子が答えた。


「美容院に行って、節子の髪を黒に染めて美久みたいなお嬢様風髪型にして、化粧も変えて、ファッションも美久みたいなのを買うんだ」
「うんうん」と二人がうなずき、「何がうんうんだ、おまえら!」と節子が彼女らを睨んだ。


「それでね、これから美久が帰ってくるだろう?紗栄子と佳子がそれを見張って、ぼくに知らせる。ぼくは駅で待ち伏せして、節子と腕くんで、美久に気付かないふりしてベタベタする。美久がどういう反応をするのか?どう?」
「そりゃあ、あねさん、怒りますよ。怒って帰っちゃうんじゃない?」と紗栄子。
「悲しむと思うなあ」と佳子。
「怒って、私につきかかってくるとか?兵藤さん、殴っちゃうとか?・・・って、そんなこと、私はやらない!」
「やってみようか?」節子を無視して紗栄子と佳子に言うと「止めてくださいよぉ」と節子がテーブルを叩く。


 さらに節子を無視して「紗栄子、佳子、どうだ?」と二人に聞くと「やりましょう!」とかなり乗り気だ。「おまえら、人のことだと思いやがって!」と節子がイヤイヤをする。イヤだと言っているが、それほどでもないんだろうか?「大丈夫、ぼくがみんな払うから」


 ワイワイいって、強引に三人で節子を美容室に連れて行った。髪の毛を染めて、おとなしめのふんわりカールにした。あれ?結構いい線行っているな?節子に見えない。別人みたいだ。
洋品店に行って、フレンチカジュアル風の服装にしてみた。赤のタートルニット、膝上の黒のフレアスカート、太めのベルトに、黒タイツ。もともと制服のローファーをはいていたので靴はそのまま。化粧も眉を濃くして、付けまつ毛なし、ファンデは使わずパウダーで整え、ピンクのリップグロス。化粧品店でやってもらう。


「ええ!節子、ウソぉ~」と紗栄子と佳子。
「なんだよ、ふたりとも!」
「節子、ミラー、見てみなよ」
「ええ?どれどれ?・・・え?これ、わたし?」
「節子、あねさんと違って元がケバかったら、化け方もハンパないや」と紗栄子が言う。
「う~ん、すごいな。ここまで変わるんだ」
「兵藤さん、これ絶対、あねさんにもわからないですよ。だれもギャル系ヤンキーだなんて思わない!」
「よおし、じゃあさ、駅前の喫茶店でぼくと節子が待機して、スマホを通話にしておいて、二人は改札口で見張っていて、美久が出てきたら、ぼくと節子が美久の前をこれみよがしに歩いて美久に気付かせる。それで、ウロウロして、最後に分銅屋に行く、ってどうだ?」
「それ、ウケるかも」と佳子。「死ぬわ、ウケすぎ」と紗栄子。
「でも、あねさん、怒るか、泣くか、帰っちゃうか、つきかかってくるか、どれだろ?」もう覚悟を決めた節子が言う。
「私は怒る、だな」と佳子。「泣いて帰る、です」と紗栄子。「ぼくはぼくに怒ってぶん殴られる、だ」「じゃあ、わたしは怒って私につきかかかる、これに千円!」と節子。
「美久の反応を見てみよう。ワイヤレスヘッドフォンをぼくと節子で左右共有して、節子に腕組みしてもらってベタベタしてみよう」とぼくらは駅前へ。


 美久が改札口を出てくる。紗栄子と佳子が「改札、出ました!」と報告してきた。ぼくと節子は、改札口の対面の歩道を素知らぬ顔で歩きすぎる。節子は、打合せ通りに腕を組んで体を密着させてきた。化けた節子はかなり色っぽい。美少女タイプのミクトは違う。大人の美人だ。いつもこうだと、節子もモテるのになあ、とぼくは思った。


「兵藤さん、あねさん、気づきました。眉間にしわよせています」と紗栄子。「怖いね」とぼく。「そのまま歩いていってください。わたしらはあねさんの後ろにつきます」と紗栄子が言う。
 ぼくと節子はブラブラした。「兵藤さん、あねさん、忍者みたいに電柱に隠れながら後をつけてますよ」と佳子からの声がスマホに接続したワイヤレスから聞こえた。もう片方を耳にしている節子にも聞こえている。
「ひっかかったみだいだね」
「兵藤さん、わたし、あとで折檻されるんじゃない?」
「ぼくの発案だといいわけするから」


 しばらくブラブラして、鬼ごっこをした。美久は電柱に隠れながら後をつけていると二人から報告があった。「兵藤さん、爪を激しく噛みながら、あとをつけてますよ。かなりこわいかもしんない」と佳子。
しばらくして、分銅屋が見えてきた。二人からは「兵藤さん、あねさん、なんで分銅屋の方に行くんだと首を傾げてます」と紗栄子。「そりゃあ、そうだろう」


 分銅屋の暖簾をくぐって店に入った。「いらっしゃいませ」と女将さんがいう。腕を組んでベタベタしているぼくと節子を女将さんは見た。「兵藤さん、あの、その女性は・・・」


「女将さん、シー。この女の子、だれだかわからないですか?」
「え?だ、だれ?」
「節子です」
「ええぇ!」
「今ね、美久をひっかけようとしているんです。美久はぼくたちの後をつけて店先にいます。その後を紗栄子と佳子がつけていて報告している、ってわけです」


 ぼくと節子はカウンターに座った。紗栄子と佳子が「あ!あねさん、店に入るっす」と報告してきた。「美久が店に入ったら、ちょっと間をおいてきみらも入って」と指示する。


 乱暴に引き戸が開いた。「こんばんは」と大きな声で言って、美久がカウンターに座っているぼくと節子を睨む。「タケシさん!その女、だれだっての?腕なんか組みやがって、なんなの!おまえはだれだ?このクソアマ!」と怒鳴って節子に手をかけようとする。お嬢様スタイルなにの、口調はヤンキーに戻っている。その後を紗栄子と佳子が入ってきた。
「あねさん、こんばんは」と紗栄子と佳子が言う。


 美久はわけがわからない顔で、ぼく、節子、紗栄子と佳子を見る。


「ネエさん、ネエさん、わたしですよ、節子ですよ」
「ええぇ?」と美久がのけぞった。
「ゴメンナサイ、美久をからかったんだよ」とぼく。
「あ、あんたらねえ・・・」美久はぼくらをすごい顔で睨んだ。
「ほら、やっぱり怒ってわたしに突っかかろうとした。紗栄子、佳子、兵藤さん、千円ずつね」と節子。
「あんたらなあ、タケシ!許さない!節子!折檻じゃ!」


 ぼくはカウンターから立ち上がって、美久の頭を抱いた。「ごめんね、ごめんなさい」とヨシヨシをする。「バカヤロウ、タケシ!なに考えているんだ!」とイヤイヤをした。それで、ぼくは美久の頬をはさんでキスした。「あ!」真っ赤になる美久。でも、抱きついてくる。これでヒステリーが治るのが最近わかったのだ。チュ~されると、ボォ~っとなって、わけがわからなくなると言っていた。


 女将さんがマジマジと節子を見た。「しかし、わからないわ。美久ちゃんのイメチェンとレベルが違う。眉なし付けまつ毛のケバいのがこうも変わるんだ。どう見てもお嬢だわ」


「美久二号でぇ~っす」と節子が言うと、ぼくに抱かれていた美久が手を伸ばして節子の頭をボカリと殴った。「節子、おまえ、折檻一号だからな?」


 女将さんが頭をふりふり「まったく、この二人、最近所構わずハグしてチュ~するんだから。頭がおかしくなっちゃったのかしらね?でも、節子ちゃん、その格好似合っているわよ」「え?ほんとですか?」「ヤンキーだとダメだけど、その格好なら、このお店手伝ってもらおうかしら?バイトで」「え?や、やります!やらせてください!」と節子が言った。


 紗栄子と佳子が顔を見合わせて「あ!ズッりー!兵藤さん、わたしたちにも洋服買ってください!」と声を合わせた。


 そこに南禅さんと羽生さんが店に入ってきた。「お!なんだ?新しい女の子?」と羽生さんが女将さんに聞くと「羽生さん、節子ちゃんですよ」と答えた。「なんだ?北千住はコスプレが流行っているのか?まるで、美久二号じゃねえか?それで、最近は居酒屋でラブシーンのライブをやっているのか?兵藤くんと美久ちゃんは?」と言った。


 美久がぼくを振りほどいて「てめえら、みんな、ぶち殺す!」と叫ぶ。やれやれ、怒ると地が出るんだ、美久は。


七話 美久さん、起きる


 翌日の日曜日、不公平がないようにと、紗栄子と佳子にも服を買った、買わされた。三人組がみんなフレンチカジュアルっぽくなってしまった。いいのかなあ、こういうのは?ヤンキー商売(?)は大丈夫なんだろうか?


「てめえら、タケシさんのせっかくのバイト代を使わせやがって」と美久が怒るが、「まあまあ、ぼくがいい出したことだし、節子だけだと不公平でしょ?」と納得させた。美久はまだプリプリしている。
「兵藤さん、ついでに、昨日話していた、あれも買っちゃえば?」と節子がニヤニヤして言う。「あれ?あれって?」「ネエさんのあれ」「え?そ、それは・・・」
「なによ?二人で内緒話して!」と美久がプンプンしてぼくと節子にたずねた。「いや、昨日、サテンで兵藤さんに『ネエさんのパンツ、地味だから、色っぽい下着買ってやればいいじゃないすか?』って話したんですよ」と節子が答えると、「このバカヤロ!なんという話をするんだ!」と美久が節子の頭にゲンコを食らわせた。「痛ってぇ~。だって、ホントのことじゃん?今どき白かブルーのコットンの苺のパンツはいているのはネエさんくらいのものですよ!」と節子が言うと、美久が「この野郎!タケシさんの前でそんなことをいいやがって!」とボカスカ節子の頭を殴った。


(白かブルーのコットンの苺のパンツ)


・・・想像してしまった。う~ん、大学一年生の女の子が、さすがに「白かブルーのコットンの苺のパンツ」じゃあ、ちょっとまずいよなあと思った。って、なにがマズイのだろうか?


「わかった。美久、銀座に行こう」とぼくが言うと「なにしに銀座に行くの?」と聞くので、恥ずかしかったが「『白かブルーのコットンの苺のパンツ』の代わりに、大学一年生の女の子が着るような下着を買いに行きましょう」と言った。


 美久は真っ赤になって「節子、余計なことばっかいいやがって。あとで、折檻だからな!」と怒った、ぼくは、「じゃあ、ゴメン、ぼくたちは銀座に買い物に行くから、ここでバイバイだ」と三人組に手を振った。「ネエさん、兵藤さん、楽しんでください」と三人組はお辞儀した。


 美久の手を引っ張って、北千住駅に行く。千代田線で日比谷まで行って日比谷線に乗り換えて銀座まで。地下鉄の中で、ドアの脇に二人で立っていたが、美久は「タケシさん、わたし、男の人とそんなもの買いに行ったことないよ」とブチブチと小声で言っている。


「ぼくは、妹に付き合わされて何度か行ったよ。ピーチ・ジョンとBRADELISに行こう。そこで妹が買ったんだ。BRADELISは、ブラのフィッターさんがいて、自分にあったブラジャーを選んでくれて正しくつけてくれるんだ。胸の形が綺麗に出るって評判だってさ」「タケシさん、カ、カエデちゃんとそんな店に行ったの?」「うん、強引に連行された」「そんな!カエデちゃん、義理の兄と下着屋に?」「昭和の時代じゃないんだから、男性でもランジェリーショップにつきあわされることはあるさ」「ほんとうかなあ」と疑わしそうにぼくを見上げて言うので、「べつに、ランジェリーショップは男の子厳禁とは書いてないよ。女性に拉致された男性は結構います」と言った。また、真っ赤になって、ぼくの服の袖を引っ張っている。


 まず、BRADELISに行った。下着をつけたマネキンを見て、美久が「わたし、いいです」と逃げようとするので、襟をつかんでお店に入った。店員さんをつかまえて、「ブラとパンティーを彼女に買いたいんですけど・・・」と言った。「はい、いらっしゃいませ。あれ?あなたはこの前の学生さん?」と聞かれた。ああ、この前カエデと来たときもこの人だった。「はい、この前は妹、今日は彼女です」と答えると、美久が真っ赤になってモジモジしている。「ぼくと同じ大学の一年生です。慣れていないので、いろいろと見せてやってください。美久、店員さんに遠慮なく聞いて、じっくり選ぶんだよ。適当にしちゃあ、ダメだよ。特に、ブラはフィット感が大事で、合わないと胸に悪いらしい。遠慮しないでたくさん試着してね」とちょっと意地悪く言って、美久を店員さんに渡した。「そうなんですよ。この前お話ししたことよく覚えておいでです。さあ、彼女さん、行きましょう」美久は恨めしそうにぼくを見つめたが、店員さんは美久を拉致して、奥の方であれこれ見せ始めた。


 う~ん、ヤンキーの元総長をイジめるというのは、めったにない経験だ。実に楽しい。ぼくが店の前で突っ立っていると、LINEが来た。「タケシさん、胸とお尻はかられて、いっぱい渡された。どうするの?」と聞いてきたので、「ちょっと待ってね」と店内に入って、試着室の脇に立っている店員さんに「すみません。彼女、たぶんブラのフィット感がわからないと思うので手伝ってやってくれませんか?」と言った。店員さんは、「わかりました」と言って、ニヤッと笑って(わからない、そういう女性客もいるのだそうだ。そう妹が言っていた)「彼女さん、入っていいですか?」とノックして試着室に入ってしまった。また店先に戻って待っているぼく。


(そうそう、美久、店員さんに胸を触られて、ブラにバストを押し込まれたりして、恥ずかしがるかなあ)


 想像したら楽しくなってしまった。


 また、LINEが来た。「タケシさん、選んだ。だけど高いよ」とあるので、「美久が気に入ればいいんだ。服着たの?」「着た。ちょっと来て」とあった。試着室に行くと試着室のドアをちょっと開けて美久がおいでおいでをする。真っ赤になっている。


「これ、タケシさん、好き?店員さんに勧められた」と見せる。スカイブルーの基調の花柄で縁が濃いブルーのアクセントが入ったブラと、おそろいの柄のパンティーだ。「いいんじゃない?美久はそれが好きなの?ぼくは気に入ったよ」というと、じゃあ、これは?とエメラルドグリーンの似たような下着も見せる。「それもいい。両方買っちゃおう」「高いよ」「気にしない、気にしない」


 美久は、高い、高いとブツブツ言うが、店員さんに「決まりました。これでいいです」と言った。それで、「もういい、もう充分です」という美久を引っ張って、もう一軒のピーチ・ジョンに行ってまた同じ騒ぎを繰り返した。上下四セット買った。


 北千住に戻って駅の改札口を通ると、駅前にヤンキー三人組からフレンチカジュアル三人組に変身した節子、紗栄子、佳子がいた。「キミたちは駅前に住んでいるのか?」とぼくが聞くと、「だって、イメチェンしたから、外にいたいんです」と節子が言う。


 目ざとく、紗栄子が美久の持っている袋を見た。「あ!あねさん!ピーチ・ジョンとブラデリスに行ったんですね?何を買いました?見せて、見せて」と美久に言うが、美久は、「イヤです、ダメ!絶対に見せません!」と言う。「こら、紗栄子、ネエさんは兵藤さんにまず着てみせるんだ!よけいなことを言うな!」と節子が言うと、「節子!また、よけいなことを!明日、全員、折檻してやる!」と言い返した。佳子は「わたし、何も言っていない!」とブツブツ言うも、「ハイハイ、わかりました。おい、紗栄子、佳子、退散しよう。ネエさん、兵藤さん、お休みなさい」とお辞儀をして行ってしまった。フレンチカジュアルの三人組にお辞儀されたのは生まれてはじめてだ。


 美久の家に送っていこうとすると、美久は方向違いのぼくのアパートの方向にスタスタ歩いていく。「美久、送っていくよ」と言うと、振り向いて、僕の服の袖を引張り、下を向いて「タケシさん、タケシさんの部屋に行っちゃダメですか?買っていただいた、これ」と紙袋をさして「これ見せちゃダメですか?・・・私が着てみて、それをタケシさんに見せちゃダメですか?」と小さな声で言う。ぼくは驚いた。それは・・・とつばを飲み込む。「いいよ。いらっしゃい」とボクも小声で言う。


 家につくまで、彼女は腕を組まないで、手をつないで、何も言わずに歩いた。部屋について、六畳間のテーブルに向き合って座った。「タケシさん、お父さんに電話をかけておきます」と言ってハンドバックからアイフォンを取り出して電話する。


「もしもし、お父さん、今、タケシさんの部屋にいるの・・・あの・・・その・・・タケシさんがいいって言ったら、今晩、家に帰らないでいい?」と言った。「・・・タケシさんが良いと言って、おまえが良いのならわしは構わんがね。もう大人だ。自由にしなさい」「お父さん、ありがとう」「おまえ、変わったな。夜、どうする、なんて電話をかけられたのは初めてだ」「すみません」「うん、いいよ、お休み」


 美久は下を向いている。「タケシさん、今晩、泊めていただけますか?」と聞かれた。ぼくも覚悟を決めないといけないようだ。「ハイ、美久がいいのなら、今晩、ぼくたちは一緒です」と言った。


 これはまいった。なんて純情一途。でも、ぼくにとっては重くない。このひとは重くないのだ。ますます、好きになってしまう。「美久、お酒でも飲もう。家に帰らなくていいなら、ゆっくりしよう。つまみ、作ります」


 実は、昼間、美久が部屋に来たことはあったが、夜に一人だけで来たことはない。何事にもスジを通すのが彼女の流儀だ。だから、もちろん、ぼくの部屋で二人だけでお酒を飲んだことはないのだ。


 ぼくは立ち上がって、クロゼットから黒のエプロンを取り出した。すると、彼女も立ち上がって、ぼくからエプロンを取り上げて「わたしがやります」と言う。「ありがとう。じゃあ、任せた」


 美久は冷蔵庫と冷凍庫の中身をざっとみた。みんなタッパに詰めてあって、調理済みなのだ。ほうれん草は茹でて冷凍してある。味噌玉も作ってあって、お湯をかけるだけ。キムチもある。まあ、豚肉は冷蔵室にあって、それで何か作れるはず。野菜もすぐ調理できるように切って下ごしらえしてタッパに詰めてあるのだ。


「タケシさん、これ、タケシさんがやったの?」と美久が驚いて聞くので、「父子家庭だったから、料理は慣れているんだよ。豚こまがあるから、美久が何か作って。全部使い切っていいよ。じゃあ、ぼくはお酒を作る」


 美久が、解凍したり、炒めたり、飾り付けをしている間、ぼくは、ジンのタンカレーとアンゴスチュラビタースでピンクジンを作った。美久だったら、この強いお酒も飲めるだろう。


 ぼくは味見して、調理で両手がふさがっている美久の唇にグラスを当てた。「美久、アル中のお酒、ピンクジンだよ」と少しグラスを傾けて美久に味見をさせる。「あれ?おいしい」「ジンのロックだからね。美久だったら大丈夫だろう?」「大丈夫、飲めます。おいしい」


 料理をテーブルに置いて、ぼくらは今日あったことを話した。フレンチカジュアルの三人組になっちゃって、ヤンキーグループはどうなるの?とか。それはグループが決めることで、わたしは抜けたので何も指図できません、とか。


 わたしは割り切っています。でも、節子、紗栄子、佳子の面倒はみたいと思います、というので、「いっそのこと、みんな大学に進学させれば?」というと、タケシさん、それは難しいかもしれない、節子はいいけど、紗栄子と佳子は家の経済的な事情がある、それだけじゃなくて、そもそも三人とも大学進学する学力が不足している、自分の進路でやりたいことを考えてもいない、ということを美久は言った。


「なるほど、話は単純じゃないんだな。学力はぼくが教えてもいいけど、まず、本人のやる気と将来の構想だな」「そうなんです。わたしも彼女たちに口を酸っぱくなるほどいったんですけど・・・」「そう言えば、美久のあとの新しい総長ってだれ?節子じゃないだろう?」「・・・その話、今晩しなければダメですか?」と言いにくそうだった、「いや、今晩は、ぼくと美久の夜なんだから、しなくていいです」とぼくは言った。


 ぼくらはピンクジンを飲んでしまった。美久とぼくのグラスを洗って、父からギッてきたバランタインの30年を開ける。「今度はウィスキーだよ。ブレンデットウィスキーの一品だ」とロックにして美久に渡す。彼女はちょっぴり飲んで「ええ?のどごしが・・・スルッと入ります」と言う。「そうだろう?」「これはダメだ、どんどん飲んじゃう」と美久が言う。数杯空いた。


 美久が、「酔っぱらっちゃいます。酔っ払いました。これじゃあ、タケシさんに下着みせられなくなります。上のロフトお借りしていいですか?」と訊く。「ハイ、どうぞ」というと、下着の入った紙袋を持って、ロフトへの梯子を上がっていった。


 十分くらい経った、美久が梯子を降りてくる。下着以外何も着ていない。「タケシさん、これがわたしです。見てください」と恥ずかしそうに胸の前で両手を交差させて俯いていた。最初に選んだスカイブルーの上下の下着を着ていた。


 ぼくは何も言えず、美久を抱きしめた。「綺麗だ、美久。すごく綺麗だ」「わたし、タケシさんと一生一緒にいたい。タケシさんの妻になりたい」と言う。女の子にこんなことをこんな格好で言われたらもうノックアウトだろう?


 ぼくは声が上ずってしまった。「美久、上に行こう」とぼくは美久をうながして、また、梯子を登らせた。狭い四畳のロフトにマットレスと毛布だけ。美久が脱いだ服が隅にたたんであった。ぼくは美久を抱きしめて、キスをして・・・


「あっ!」と思った。眼を開けた。美久の顔が目前にある。すやすや寝ていた。あれ?昨日は、二人でたくさん飲んで、抱き合って、キスをして、お互いを触りあって・・・
「美久、美久ちゃん、起きて」と美久を少し揺さぶる。「あ!タケシさん、おはよう。何時ですか?」と口を少し開いて、可愛いあくびをした。「美久、美久ちゃん、おはようじゃないよ。え~と」とスマホを見る。「今、五時。あのさ、ぼくらはまだ処女と童貞のままじゃないか?寝ちゃったじゃないか?」「寝ちゃいましたね、二人で」「何もしなかったじゃないか?」「あれ?しましたよ。普段以上に。忘れました?」「・・・うん、覚えている。触ったし・・・」「そぉですよぉ?タケシさん、わたしを触ったじゃないですか?わたしもタケシさんを触りました・・・恥ずかしい・・・わたし、感じちゃって・・・タケシさんも・・・」「それで、二人で寝ちゃったんだ?」「ハイ、気持ちよくって・・・」


「あ!」「『あ!』ってなんですか?」「ぼくら、裸じゃないか?」「ええ、タケシさんはわたしの下着を脱がしました。せっかくの下着が汚れちゃうと言って。わたしもそう、タケシさんの下着を脱がして・・・」「そうだったね・・・」


「あの、タケシさん・・・」「なに?」「タケシさんの固いのが・・・わたしのあそこにあたってます・・・」「あ!あ!ゴ、ゴメン」「いいえ、さ、触っていい?・・・夜はあんまりきづかなかったけど、こんなのわたしに入るの?」「入るよ、問題ないよ」「もう、触るだけで、わたし、感じちゃいます」「ぼくも触っていい?」「ハイ・・・あ!それ、だめ・・・」「み、美久、美久ちゃん、どうする?しちゃいます?」「どうします?タケシさん?しなくても、これだけ気持ちがいいなら、もうちょっと楽しみは取っておきます?」「ぼくが我慢できるかなあ?」「私だって同じです・・・あ!そこ!ダメです!」


「タケシさん?」「は、はい?」「我慢できないんでしょう?」「・・・う、うん・・・」「節子なんかから聞いて知っています」「え?」「ちょっと待ってね」と美久はスルスルと毛布の中に消えてしまって・・・


 美久に予備の歯ブラシを渡した。女の子と二人で歯磨きなんて、カエデとしかしたことがない。歯を磨きながら美久に聞いた。「なんであんなこと知っているの?」「節子たちが話してたから・・・」「でも飲んじゃったじゃない?」「え?節子たちは飲むもんだ、って言ってましたよ?変な味!あの味、慣れるもんなのかな?」ぼくはつくづく美久は不思議な子だと思った。


 結局、ぼくと美久は童貞と処女のままだった。でも、進展はあった。触る部分と感じる部分が増えた。二人でシャワーを浴びた。洗いっ子をした。それで、シャンプーして、眼に入って、痛がって、情けないことに、ふたりでまた気持ちよくなってしまった。こんなことでいいのだろうか?でも、美久は幸せそうだ。


 ここまで場面がセッティングされて、それで、まだ童貞と処女のままなんて、美久のお父さんも三人組も女将さんも南禅さんも羽生さんもだれも信じてはくれまい。


 ぼくらって、おかしいのだろうか?