フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

シリーズ『フランク・ロイドのヰタ・セクスアリス(Ⅱ)』 (第1ユニバースの)メグミ Ⅰ

まえがき

 ヰタ・セクスアリス(Ⅱ)世界のある第4ユニバースで加藤恵美に起こらなかったことが、第1ユニバースの彼女には起こった。



 宮部明彦には記憶転移を起こさせるトリガーの能力があるようだ。第4ユニバースでメグミと明彦が連れ込み宿から出て、神楽坂を歩いていたところまでは同じだった。しかし、第1ユニバースでは、そこで大きな落雷が発生する。落雷からはガンマ線、電子、陽電子が対消滅、対生成されるのだ。陽電子は時間軸を遡り、他のユニバースの類似体に記憶データを転送してしまう効果があるようだ。落雷の時、明彦が触れた人間に起こってしまう。


登場人物(第4ユニバース)

宮部明彦    :理系大学物理学科の2年生、美術部。横浜出身
加藤恵美    :明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、心理学科専攻
杉田真理子   :明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、哲学科専攻
森絵美     :文系大学心理学科の2年生、明彦の恋人
島津洋子    :新潟出身の弁護士、明彦の愛人
清美      :明彦と同じ理系大学化学科の1年生、美術部
小森雅子    :理系大学化学科の3年生、美術部。京都出身、実家は和紙問屋、
         明彦の別れた恋人
田中美佐子   :外資系サラリーマンの妻。哲学科出身

登場人物(第1ユニバース)

宮部明彦    :理系大学物理学科の2年生、美術部。横浜出身
加藤恵美    :お茶大の理系学生、大学2年生
杉田真理子   :明彦と同じ理系大学の2年生、明彦の女友だち
森絵美     :理系大学物理学科の2年生、明彦の恋人
島津洋子    :物理学者、明彦の愛人
清美      :明彦と同じ理系大学化学科の1年生、美術部
小森雅子    :理系大学化学科の3年生、美術部。京都出身、実家は和紙問屋、
         明彦の別れた恋人
田中美佐子   :外資系サラリーマンの妻。哲学科出身

記憶転移タイムライン

宮部明彦 (第一ユニ):1970年12歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳
加藤恵美 (第一ユニ):1978年20歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳
森絵美  (第一ユニ):1978年20歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳
島津洋子 (第一ユニ):1979年27歳の時、第三からの記憶転移、1986年34歳
小平   (第一ユニ):1981年33歳の時、第三からの記憶転移、1986年38歳
湯澤   (第一ユニ):1981年23歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳
アイーシャ(第一ユニ):1981年23歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳

2025年のガンマ線バーストの被害

極超新星爆発(第一ユニ):2025年、ガンマ線バーストでの全種の滅亡
極超新星爆発(第三ユニ):2025年、ガンマ線バーストでの全種の滅亡
極超新星爆発(第二ユニ):2025年、ガンマ線バーストの目標から地球は逸れる
極超新星爆発(第四ユニ):2025年、ガンマ線バーストの目標から地球は逸れる

覚醒1、1978年5月4日(火)、飯田橋

 ぼくが女の子にも性欲がある、それも男の子に勝るとも劣らないような性欲がある、と認識したのは、ぼくが20才の時だった。もちろん、女の子は男の子じゃない。セックスなんてしないでも平気なことが多い。個人差があるのだ。


 ぼくは飯田橋のルノアールで加藤さんとコーヒーを飲んでいた。彼女は、お茶の水女子大の美術部部員、ぼくの大学の同級生の真理子の友達だ。加藤さんを知ったのも真理子の紹介から、ということにしておいた。しかし、事実は違う。心の声に従ったのだ。加藤さんの友達が真理子だったから、ぼくはまず真理子に近づいた。「あら?そういえば私の友達も美術部なのよ。お茶大の加藤恵美っていうの。今度紹介します」というので、紹介してもらった。計画的にぼくはアプローチしたのだ。1978年5月4日にぼくは加藤さんと二人で会わなければいけないのだ。


 何度か、真理子と加藤さんと会っている内に、ぼくの大学と加藤さんのお茶大の美術部で合同展覧会でもやろうか?ということになった。ぼくは平日だったが、5月4日でどう?と二人に聞いた。二人ともその日の午後はGWの最後で空いていた。


 真理子と加藤さんと待ち合わせをして、ダベっていたのだが、話は合同展覧会の話になる、真理子は美術には興味がない。真理子は「今日は忙しいから、2人でもっとあなたたちの展覧会の相談をしていてよ。私は音楽系なので、悪いわね」といって、渋谷の屋根裏とかいうロフトに行ってしまった。


「そっちは何点くらい展示できそうなの?」と加藤さんが訊いた。「そうだな」とぼくはメモを見て「100号出したいってヤツがいてさ。その他は30号3点、20号2点、10号3点、6号5点、SM2点ぐらいかなあ・・・」「あら、じゃあ、こっちの方が多いわよ」「そりゃあ、加藤さんのところは部員も多いしね」「費用の割り方どうする?」「号数の合計ってわけにもいかないから、そっちが6割でこちらが4割じゃあどうなのかな?」「すごくざっくりした割り方ね」「こんなものは細かく計算したってしょうがないよ。それでよければ、こっちはぼくが納得させるからさ」「私たちはそれでいいわ」「じゃあ、それで決まりだ」「それでね、場所は四谷の・・・」


 招待状の分担、招待者のリストアップ、具象か抽象か、どう配置するか、だいたいのところを打ち合わせして、じゃあ、あとはスタジオ見てから詳細は決めよう、スタジオを見学する日は来週でいいかな?そっちはメグミがずっと担当するの?こっちがぼくが担当だ、と展覧会の話はいちおう終わり。


 真理子は、大学にパンツスーツを着てきたりして、フォーマルな服装を好む。加藤さんはというと、かなりカジュアルな服装だ。今日はダンガリーの半袖シャツにデニムのミニスカート。スカイブルーのサマーセーターを首のところで結んで背中に回している。


 真理子は長髪で面長の美人だ。加藤さんは、ショートヘアで、キャンディーズのランちゃんみたいな顔立ちをしている。


 スプーンでコーヒーをぐるぐるかき混ぜている。そんなに混ぜなくてももう十分だと思うけど、ペンを指先でクルクルやるような癖かも。かき混ぜるのがすんで、彼女はカップを両手で持って、コーヒーを飲み始めた。「宮部くん?」と彼女がコーヒーカップの縁越しにぼくを見ながら言う。「用事終わったのよね」


「そうだね、今日のところは」
「それで、宮部くんは帰っちゃうのよね、メグミにバイバイって言って」
「何かあるの?」
「何にもないわよ。何にもないから困っている」
「何が?」


「一緒にいる理由!」彼女は髪の毛を指で梳きながらちょっと怒ったように言った。


「いいよ、何かあるのならつき合うよ。買い物?本屋かい?」とぼくは何が彼女の気に入らないのかわからなかったので、当てずっぽうで言う。
「そういうことじゃないのよ」と彼女が頭を振りながら言った。「鈍感ね、宮部くんは・・・」
「え?」
「あのね」と加藤さんが言う。「ちょっと、訊いてもいい?」
「どうぞ」


「宮部くんとマリって、どのくらいの関係なの?」
「う~ん、どのくらいっていわれてもなあ・・・週に2度ほど会って、買い物したり本屋に行ったり、だべったり、ちょっとお酒を飲んだり、という関係?」
「ふ~ん、あのね・・・」
「なに?」
「宮部くんとマリ、肉体関係ってあるの?」
「バ、バカ・・・加藤さんは何を訊くんだか・・・な、ないよ」
「キスとかは?」
「ないよ」


「じゃあ、単なる友達?」
「いや、週に2度会っているんだから、仲のいい友達なんだろうね」
「キスしたいとか、セックスしたいとか思わないの?」
「真理子がどう思っているか知らないけど、まだ知り合って3ヶ月くらいだからね」
「宮部くん、知り合う期間が長ければ、キスとかセックスとかしてもいいってことなの?」
「そういう話じゃないって・・・」
「そう」と加藤さんは言った「じゃあさ、メグミが宮部くんとエッチしたいって言ったらしてくれる?」


「おいおい・・・」
「冗談よ、冗談」
「まったく・・・」
「あのね?」
「なに?変な質問じゃないだろうね?」
「どうして、私って生理の前になると無性にセックスがしたくなるんだろう?」
「変な質問じゃないか!」


「そう?でも、どうして?」
「それって、排卵が近づいて、子供が出来ますよ、子供を作ってくださいって、体が要求しているからじゃないか?」
「そうなの?メグミの体が子供を欲しがっているってこと?」
「そうとしか考えられないよ。だから、男の子が欲しいんじゃなくて、子供が欲しいからセックスしたくなるんじゃないの?」
「そうなんだ・・・あのね?」
「また、なに?」
「いま、その生理直前なの」


「だ、だから?」
「欲しいの・・・」
「加藤さんね、キミは真理子の友達で、ぼくは真理子からキミを紹介されたんだよ」


「だから?」
「だから、キミはぼくの友達の友達であって・・・」
「あら?メグミは宮部くんの友達じゃないの?」
「順序と階層の問題だと思うけど・・・」
「じゃ、マリよりも先にメグミと会っていたら優先順位が違ったということ?時間差の問題なの?近しさの問題じゃないの?」
「う~ん、・・・」


「だって、宮部くんはマリと何もないんでしょ?」
「そういわれれば、何もないとも言えるけどさ」
「じゃあ、メグミとエッチしたって構わないじゃない?」
「だって、ぼくとメグミと会ってまだ3週間くらいだよ?5回くらい会っただけだよ、それも真理子と一緒に」


「それで?」
「だから、つまり・・・」
「宮部くん、メグミとエッチしたくない?」
「急にそんなこと言われてもさぁ~」
「急だろうが、ゆっくりだろうが、したいか、したくないか、そんなことわかりそうなものじゃないの?」


「わかったよ、メグミはかわいいし、エッチしたくないって言えばうそになる」
「したいの?」
「うん、したい」
「じゃ、しよ!」
「え?いま?」


「バカねえ、ルノアールでエッチができるわけがないでしょう?」
「しよう、なんて言うから・・・」
「ここを出て、エッチできるところに行こうよ」
「どこ?」
「宮部くん、エッチしたことないの?」


「あるけど、そりゃあ、自宅とか彼女の家とかだしさ・・・」
「ウブなんだぁ~?」
「まったく、加藤さんはそんなかわいい顔して何を言い出すんだか・・・」
「あのね、宮部くん」と加藤さんが言う。「神楽坂ってさ、昔から置屋がたくさんあって、色街だったんだよ。早稲田通りの裏の三丁目や四丁目は料亭があるの。今でもあるのよ。それで、そういう色街ならラブホテルだってあるはずよ」


「なんだ、加藤さんだって知らないじゃないか?」
「知らないわよ、ラブホテルの場所なんて。だいいち、男の子にエッチしようなんてメグミが言ったのは生まれて初めてなんだから・・・」
「なぜ、生まれて初めてがぼくなんだ?」
「しょうがないじゃない?急に欲しくなったんだから、宮部くんが」
「頭が痛くなってきた・・・」
「頭痛はそのくらいにしておいて、さ、ここを出ましょう」
「本気なの?」
「冗談でこんな恥ずかしいことを女の子が言えると思う?」
「思わない。わかった、出よう」


 ぼくらは早稲田通りの坂をあがっていった。「どこにあるのさ?その置屋とかが?」「三丁目よ、たぶん・・・ほら、ここここ。怪しいわ、ほら、この近江屋ビル、ここを右に曲がってみましょうよ」「こんな路地の奥にあるの?」「普通、大通りに面して堂々とあるわけないでしょ?」「そりゃあ、そうだ」「ほらほら、居酒屋とかあるじゃない?」「居酒屋くらいあるだろ、普通」「いくわよ」「加藤さん、なんだか・・・」「ドキドキする?私もそう」「まだ昼間だよ?」「ラブホテルって、24時間無休じゃない?」「なるほど」「ほぉ~ら、ここ、芸者新路って書いてあるわ」「ここを入っていくの?」「まさかぁ。置屋の隣にホテルがあったらおかしいでしょ?私の勘だともっと先よ」「ほんとか?」「さ、行きましょう」


 ぼくらは細い道を歩いていった。それでちょっと広い道との十字路に出た。それで、十字路の左角に加藤さんのいうようにホテルがあった。
「うそ!」「ほら、メグミの勘を信じなくっちゃ」「だけど、加藤さん、これからどうすればいいんだ?」「メグミの見たポルノ映画の経験では、男の子がいやがる女の子の手を引いて、ガラッとホテルのドアを開けて、『休憩したいんですけど・・・』と受付の人に言うのよ」「あのさ、いやがる女の子って?」「いいから、いいから、私の手を引っ張って、入って、入って」「わかったよ」


 ぼくはひどく小さな窓があいた受付に加藤さんを引っ張っていって、「あのぉ、休憩したいんですけど・・・」と受付のおばさんに尋ねた。「ハイ、いらっしゃいませ。2時間3500円になります」「ハ、ハイ」とぼくは慌てて千円札と五百円札を窓からおばさんに渡した。おばさんがキーをくれる。「2階にあがって、突き当たりの部屋ですよ」とおばさんが言う。
ぼくらはエレベーターで(なんと古びたエレベーターがあった)2階にあがり、突き当たりの部屋のドアをゴソゴソあけて中に入った。


「ほぉら、うまくいったじゃない?」と加藤さんが言う。「汗かいちゃったじゃないか」「私もドキドキものよ。生まれて初めて、男の子とラブホテルに入ったの」「うそ?」「ホント」「おいおい、加藤さんって、まさか処女じゃないだろうね?」「そうだったら?」「ええ~、うそだろ?」「うそよ、バカね」「ああ、よかった」「なんでよかったのよ?」「だって、自分からエッチしようって女の子が処女だったらどうしようかと思ってさ」「処女嫌いなの?」「好きも嫌いも、加藤さんが処女だったら、ちょっとさ、責任ってものがさ・・・」「ただのエッチだよぉ~?責任とか関係ないじゃない」「まあ、そうだけどさ」


 ぼくはカーテンを閉めて部屋の照明を消した。ベッドのサイドテーブルの明かりだけつける。「加藤さん?」とぼくは彼女を抱き寄せた。
「宮部くん、私のこと軽蔑する?」
「なぜ?」
「だってね、友達の彼氏に『エッチしよう』なんて言って、ホテルにきちゃったんだから・・・」
「だって、加藤さんはぼくとエッチがしたいんだろ?」
「うん、したい」
「ぼくも加藤さんとエッチしたい」


 ぼくらはキスをして、お互いの服を脱がしあった。床に服が積み重なっていく。2人とも裸になると、ぼくはベッドに加藤さんを横たえた。加藤さんの横に滑り込む。キスをしながら、加藤さんがぼくに触れた。ぼくも加藤さんに触れる。


「加藤さん、あの・・・」
「恥ずかしいから何も言わないで。『加藤さん』も止めて!メグミと呼んで。それで、濡れているなんて言ったらぶつわよ、だって、ホントにいっぱい濡れているんだから」
「わかった」
「あ!避妊はどうしよぉ?」


「こういうホテルはどこかに常備してあるはずだと思うけどね」とぼくはサイドテーブルをガサゴソやった。「ほらあった」
「よかったぁ~、赤ちゃんできたらどうしようかと思ったの」
「そうしたら結婚するほかないよ」
「真理子に殺されちゃうわ」
「いまのままでも十分殺される理由になると思うよ」
「そうよねぇ、いけないことしているのかしらね?」
「だって、欲しいんだろう?」
「うん」
「じゃあ、しよう、余計なことを考えないで」


 終わったあと、メグミが言った。「わあ、よかったわ」「そう言ってくれるとうれしい」「ね、ね、宮部くん?」「あの、ぼくも明彦と呼んで。それで、なに?」「わかった。明彦、まだ時間あるわよね?」「あと1時間くらいあると思うよ」「もう一度できる?」「できるよ」「じゃあ、もう一度」


 結局、2時間では済まず、フロントに電話をかけた。「あのぉ~、1時間延長してもよろしいでしょうか?」とフロントのおばさんにぼくは訊いた。「結構ですとも。2千円になりますが」「今支払うんですか?」「出られる時で結構ですよ」「ありがとうございます」とぼくは受話器をおいた。


 メグミが枕にあごをのせてぼくを見ていた。「3時間!」「うん、3時間」「飽きないわねえ、私。明彦は?」「ぼくもメグミとなら飽きないな」「明彦、うまいわね、慣れているみたい」「そうでもないよ。誠心誠意やるとこうなるんだ」「変な表現」「メグミのどこが感じるか、というのに集中するとこうなる」「よく私の体のことがわかるのね?初めてなのに」「でも、メグミの中に入っていれば、ぼくのあれがそれを感じるからわかる」「そうなの?」「そう」「じゃあ、あと、1時間、私を感じてみて」「うん」


 ホテルを出たあと、神楽坂を降りていく途中でメグミが言った。「あ~あ、やっちゃった」「そうだね」「私たち、どうなるの?真理子にどういう顔で会ったらいいかしら?」「どうしようかなあ・・・だけど、メグミの生理前の性欲が高まった時だからなあ」「あら?それだけ?」「まさか、それだけじゃないけど・・・」「だまっていよ?真理子には。それで、メグミの次の生理前にまたエッチするの」「そういうものか?それで済むかなあ」「だいじょうぶだって」「だまっていようか・・・」「そうそう、沈黙は金」「でもだよ、ぼくが真理子とエッチしちゃったら?」「私、明彦を殺すわ。殺すかもしれない、ホント。だから、マリとエッチしてもだまっていてね、私には」「そういわれると、何もできないよ」「だったら、明彦はメグミとだけエッチしていればいいのよ」「真理子とは清い関係で?」「それでいいじゃない?」


 神楽坂を降りて飯田橋の駅に近くなった頃、どうも雲行きがおかしくなってきた。真っ黒い積乱雲が神楽坂の家並みの上からモクモクと湧いてくる。五月に積乱雲とは珍しいことだ。「メグミ、こりゃあ雨が降るぞ。見なよ、あの雲」「わ、ほんとだ。駅につくまでに降ってくるかな?」「喫茶店に入ろうか?」「そうしよう、そうしよう」


 ぼくらは手近の道路に面して窓が大きく取ってある喫茶店に入り、窓際の席についた。同時に土砂降りの雨が降ってくる。雷を伴っている。窓から覗くとかなり高い位置から雷光が落ちてくるのが見えて、ちょっと遅れて雷鳴が轟いた。一、二、三、四、ドド~ん。四秒。三百四十メートルかける四秒、千三百六十メートル。近い。


 メグミが不安そうな顔でぼくを見る。ぼくはメグミの手を握って「大丈夫だよ」と言ったが、ぼくが手を握るとメグミが体を震わせた。「あ、ピリッときた」「え、静電気か何か?」「うん、手のひらからピリッときた」「ぼくは静電気男じゃないけどなあ」「もう、大丈夫・・・あれ?え?」「なに?どうしたの?」メグミはギュッと握っていたぼくの手を離して、両手のひらをうちわみたいに振って顔をあおいで言った。


「頭の中がピリしてきて、それで、なにか頭の中にいっぱい入ってきて、思い出すことがたくさんできた?そんな感じなの」
「なにを言っているんだい?静電気の影響か?」
「ち、違うの・・・・ヨウコさん?白衣を着て」
「ヨウコさん?ヨウコさんって、ぼくの部の先輩の洋子さんしか知らないけど、メグミが知っているわけじゃない。化学科だから白衣は着るよ。オカッパの小太りの・・・」


「違う!白衣を着ていて、スラッとして背の高い、髪の毛が肩まであるヨウコさん?その人の姿が浮かんでさ・・・」
「わけわかんないな・・・」
「明彦、ヨウコさん、どこに行っちゃったの?」
「おいおい、ぼくはそんな女性を知らないよ」
「・・・う~、わかんない。もう、いい。忘れて」
「メグミは雷と静電気で混乱しちゃったんだよ」


 三十分くらい喫茶店にいた。にわか雨もあがってきて、青い空がちらほら見えだしてきた。「さあ、メグミ、行こうか。帰ろう、おうちに」「うん、でも、今日は楽しかった」「ぼくも楽しかった。メグミと距離が近づいた」「ねえねえ、内緒でまた、やろ」「雰囲気もなにもあったものじゃない。即物的だよ、メグミは。まあ、内緒でしようね」「うれしい」ぼくらはトボトボと飯田橋駅まで手をつないで歩いていった。


 雷か。そう言えば、ボクも雷に打たれたことが有る。あれは、12才くらいのこと。入学したての中学で、誰も知合いもなく、寂しい思いをしていた。金曜日の放課後、何を思ったのか、ぼくは学校の裏の根岸の旧競馬場に来ていた。すり鉢状の一面芝が植えてある広大な場所だった。ウロウロとしていると、廃墟になっている競馬場のパドックの下にいた。急に今日のように真っ黒い積乱雲が湧いてきた。ぼくは桜の木の下にいたのだが、その桜の木に雷が落ちたのだ。木の幹の手を触れていたぼくは木から吹き飛ばされていたことを覚えている。


 久しぶりに唐突にそんなことを思い出した。あの時は・・・そう、金曜日の夜から土曜、日曜日と38℃くらいの熱が出て、寝こんだっけ。そして、今日のメグミのように「頭の中になにかいっぱい入ってきて、思い出すことがたくさんできた?そんな感じ」がした。しかし、全部を思い出せずにいたのだ。時折、何かの記憶が入ってきて、未来が見通せるような気がした。


 それ以来、ぼくは、時々おかしな行動をするようになった。誰かがぼくにささやきかけるのだ。(口座を開け)とか。社会勉強だと言って、親に言って、証券会社の口座を開いてもらった。未成年のガキだったが、お小遣いやお年玉程度はある。その資金を使って、ぼくは株取引に手を出した。証券会社の担当者はおかしなガキだと思っていたのだろうが、親の承諾も有る。別に違法なことに手を出しているわけではない。そんなことを数年続けていると、親にも知らせなかったが、数千万円の額になっていた。


(家を買うのだ)と変な声がぼくに語りかける。ぼくはその声に従って原宿に家を買った。事務所も。マンションも。何に使うのかよくわからないまま、最新の機材も買った。会社も設立した。未成年のぼくがなぜそんな知識があったのか?よくわからなかった。


 そして、心の声が言った。「トリガーが引かれたね?」と誰かがぼくの頭の中でつぶやく。「え?」と思った。「メグミが来たね」とさらに誰かがつぶやいた。「え?ええ?」


「あ!」ぼくは、いや、私は、今、すべてを思い出した。


 思い出した。急に、今まで開かれなかった記憶の扉があいた。


(そうだった。そうだったんだ)


 飯田橋の改札口で、私はメグミに言った。「メグミ、もしかしたら、キミは今晩から高熱を出して寝込んでしまう」
「え?明彦、何を言っているの?」
「まあ、聞きたまえ。たぶん、メグミは明日と明後日、寝込んじゃうんだ。無理に大学に行こうとしないこと。明後日、木曜日の夜には熱は下がっているはず。木曜日の晩に電話する。体が大丈夫なら、金曜日に私と会って欲しい。その時になれば、私がこんな変なことを言うのがキミにはよくわかるはずだ」


「え?どういうこと?明彦、どういう話?」
「いいから、いいから。今日はこれで。愛している、メグミ」と私は改札口で彼女の頬にキスをすると、考えをまとめるために、外堀公園に行ってしばらく歩き回った。

覚醒2、1978年5月4日(火)

 飯田橋の改札口で明彦と別れて電車に乗っている間、あいつ、『キミは今晩から高熱を出して寝込んでしまう、明日と明後日、寝込んじゃうんだ。無理に大学に行こうとしないこと』って、何のことだろうと考えた。雷と関係があるのかしら?


 それにしても頭が痛い。健康的なメグミちゃんは、産まれてから今まで頭痛を味わったことは数回しかないのだ。生理のときだって頭痛なんて起きたことがあまりない。これは頭痛は頭痛でも、噂に聞く(つまり友達がよく言う)偏頭痛というやつなんだろうか?こめかみから目にかけて、後頭部まで脈打つように痛い。後頭部が熱い。


 家に戻った。玄関で後頭部を抑えて顔をしかめた。ママが玄関に来て「あら?頭を抑えてどうしたの?」と聞く。


「噂に聞く偏頭痛という病(やまい)を患ったらしいです。後頭部が痛くて熱い」と答えた。
「偏頭痛?まあ、メグミちゃん、あなたも人並みになったのよ!私の苦しみもわかるでしょ?」
「ママ、うれしそうに言わないで下さい。そんな娘が処女を失くして赤飯を炊くようなウキウキ気分はお止め下さい!後頭部が血流で脈打ってます!」


 ママが私の額に手をあてた。「熱があるわね。38度半くらいかしらね」


 あなたは人間体温計ですか?38度半って中途半端な。「どうする?氷枕準備しようか?鎮痛剤飲む?トンプクあるわよ」とそれはそれはうれしそうに言う。いつもママの偏頭痛をからかう私への反撃?なぜか、鎮痛剤は飲んではいけないような気がした。


「ママ、氷枕だけお願い。鎮痛剤はいらない。薬に頼っちゃダメかもしれない」と答えた。
「氷枕だけでいいの?」
「ハイ」


 1978年にアイスノンなどないのだ。あるのはゴム製氷枕。ゴワゴワしていて、中に氷と水を少し入れて、アルミのクリップ金具で口を抑えるというやつ。私はお世話になったことはない。あら、知恵熱が出た時はお世話になったかしら?


 え?アイスノンって何のこと?「1978年にアイスノンなどないのだ」と考えたのは誰?


 自分の部屋で服を脱ぎ捨てた。服をたたむ気もしない。ベッドに潜り込む。ママが氷枕を持ってきた。タオルにくるんで私の頭と枕の間に入れてくれる。体温計で熱を測ってもらった。「ほぉら、やっぱり38度半よ!」と人間体温計が言う。だからどうなのよ?


「人間の体温は39度以上だと危険なのよ。40度を超えると救急車を呼ばないといけないくらい。でも、38度半なら大丈夫なの」だから、救急車を呼ぶ必要はないと言いたいのね?ママは。「お薬、飲めばいいのに」と言う。「ありがたいけど、要りません。寝ていれば治ります!」と毛布を頭から被った。


 脳が暴走しているのかしら?しばらくウトウトしていると、またママが部屋に入ってくるのがわかった。


「真理子ちゃんから電話が入っているんだけど・・・どうする?」と聞く。真理子?う~ん、真理子?あ!真理子!「で、出るわ」とママに言って、フラフラで階段を降りた。そうよ!真理子の彼氏を寝取ったのよ、今日。だから、頑張って電話に出る義務があるのよ、私。


「メグ、どうしたの?あなたのママが偏頭痛って言っていたけど?」
「うん、ガンガン痛いのよ、後頭部が」
「メグが偏頭痛なんて珍しい。お薬、飲んだ?」
「飲まない。薬に頼っちゃダメ。氷枕をしている」
「ふ~ん、じゃあ、邪魔しちゃいけないから・・・」
「・・・あのさ、宮部さんの大学との合同展覧会の話、決めたから」と一応明彦の話をした。寝取ったからって明彦の話をしないとおかしいかな?とか変なことを考えたのだ。
「いいわよ、体が治ったら聞いてあげるから。今はお休みしなさいな」と何も疑わずにマリが言う。ゴメンね、マリ。マリが電話を切った。


 こういう固定電話って不便だなあ。手に持って歩ける電波式の電話機があればいいよねえ、なんて思う。ほとんど這って階段を登り、また、ベッドに潜り込んだ。


 何故か親友の彼氏を寝取ったら感じるだろう罪の意識を感じなかった。なるべくしてこうなった、としか思えない。私は明彦とこうならなければいけなかったのだ、そう思った。なんて薄情な人間なの?私は!


 あれ?なんだろう?脳みそが躍動しているような。万華鏡をクルクル回して、筐体の中をビーズの破片が花開いてドンドン変わっていくような。なんなの?夢の中でウトウトしていた。


 夢の中で白衣を着た中年の男性が私に何かを説明している。知ってる。この人は湯澤博士だ。なぜわかるんだろう?


「加藤くん、よく人間の脳細胞は9割が使われていない、なんて言われているけど、あれは違う。脳が働くときには、ニューロン(神経細胞)の樹状突起から細胞体をへて、軸索を通り、次の樹状突起へとインパルス(電気信号)が流れる。このつながりの構造が常に再構成されて、人間の記憶を構成している。単純なコンピューターのハードディスクやメモリーとは根本的に異なるんだ。そして、マルチバース間の記憶転移が発生する時、シナプスの構成構造と保持している記憶データが送られて、受けての脳内でデータ展開が起こり、その脳を再構成する。その際に、急速なデータ展開により、脳細胞が発熱し、強い頭痛が起こったりする」


 なにそれ?マルチバース?記憶転移?


 演劇の舞台のように、場面が暗転して、別の場面が出てきた。なんとなく、この場面は2025年のような気がする。



 私は小平先生と地下650メートルのハイパーカミオカンデのコントロールセンターにいるのだ。東大院生の神谷と吉田と一緒だった。地上の研究棟にいるスタッフ12、3名を待っているのだ。ZOOMで交信中のCERN(セルン)の島津洋子とアイーシャ、高エネルギー加速器研究機構の宮部明彦、森絵美、JAXAの湯澤研一は待機していた。


 え?何?明彦?このわからない扁平のテレビみたいなものは何?実況中継で、画面が分割されていて、明彦なんかが映っている。森絵美?だれ?こいつ?私よりも美人じゃないの!島津洋子?あれれ、なんかこの女、私の敵のような気がする。さっき私に記憶なんとかを説明していた湯澤博士もいる。う~ん、ここに映っている人間、みんな博士じゃない?あら?私も博士?


 私、と言っても、私、中年じゃない?みんなも中年!20歳じゃない!その彼女が扁平テレビに向かって話している。


「フフフ、小平先生、みんな、私が若い頃に聴いたドアーズの『The End』が聞こえますわ。陰鬱なジム・モリソンが歌ってましたわね。でも、私、『もう、これで終わり』とは思えませんのよ。私たちの分身、第一、第二にいる類似体がおめおめとこの第三ユニバースが壊滅するのを黙ってみていられるもんですか。彼らがなにかしますわ。アッと驚くことを。私は、私自身を、私たち自身を信じます。最後まで諦めません・・・でもねえ、結婚してみたかったな。自分の子供を持ちたかったわね。まったく、かくも優秀な素粒子物理学者、天文物理学者が、小平先生を筆頭にみんな独身なんて、人類にとって損失だったわね」


 十数時間、私たちは生き延びようと無駄な努力を続けた。日本は地球の夜面に入っていた。ニュートリノの飛来に続いて、十数時間遅れでガンマ線バーストのショートバーストが地球を襲った。それはコンマ数秒という短い時間だったが、太陽が発する電磁波エネルギーの数年分が一時に地球のバンアレン帯を破壊し、オゾン層を剥ぎ取った。


 その時、地球の昼面にあった北米大陸では、バンアレン帯もオゾン層もなく、太陽からの電磁波を直接浴びた。空を飛ぶ鳥は舞い落ち、地表から十数メートルの地表の生物は大部分が死滅した。続いて、ロングバーストが襲来した。残ったオゾン層もほとんど消えた。


 北米大陸だけではなく、夜面にあった欧州大陸、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、日本、オセアニア各国の電力グリッドが消失した。電子・電気部品を載せた機器は使用不能となり、あるものは火を発した。


 大気中のオーロラは、太陽風のプラズマが低緯度地域まで高速で降下し、酸素原子や窒素原子を励起させ、燃え盛った。北欧神話もラグナロクもこれほどではあるまい。


 スイス、ジュネーブのセルンでは、クエンチ発生の超電導破れで60トンの液体ヘリウムが600倍に気化した。島津とアイーシャはそれを生き延びた。


 北米から太平洋、オセアニアと地球は時点で昼面に移っていく。ハイパーカミオカンデが地下650メートルにあるとはいえ、日本列島が昼面になった時が、自分たちの最後と小平は思っていた。


「メグミくん、もうイカンようだな。今までどうもありがとう」と小平はメグミに言った。「小平先生、いままでご指導くださって、ありがとうございます。分身でもどうしようもなかったんですね。残念です」とメグミも小平に言った。


 私たちはブラックアウトして・・・


「あ!」私は、今、すべてを思い出した。これは第3ユニバースの出来事だったのだ。


 思い出した。急に、今まで開かれなかった記憶の扉があいた。


(そうだった。そうだったんだわ)

覚醒3、1978年5月6日(木)


 木曜日の夜、私はメグミに電話をした。


「もしもし?メグミ?」
「明彦?・・・宮部博士?」
「そうだ、加藤博士。8年間、長かった。待っていたよ、加藤博士」


記憶転移タイムライン
宮部明彦 (第一ユニ):1970年12歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳
加藤恵美 (第一ユニ):1978年20歳の時、第三からの記憶転移、1986年28歳


「宮部博士、これがそうなの?」
「そうだよ。これがわれわれの第三ユニバースからの転移だ。思い出せたかい?私たちのあちらの2025年までを?」
「まだ、頭がいたいのよ」
「無理もない、キミのあちら、あちらは第三だけど、あちらの39年間の記憶が、何テラバイトあるかわからない膨大な加藤恵美博士の記憶が、20才のこちらの類似体のキミに移植されたのだから」


「このメグミのアイデンティティーと私のアイデンティティーはどうなっているのかしら?」


「リーインカーネーションみたいな、輪廻転生みたいな状態にはなっていないから安心して欲しい。輪廻転生は別の人格に転移するようだから、類似体への転移とは違う。私の転移状態は、20才までの記憶がある部分では第三の記憶に置き換えられている。上書き保存みたいに。ある部分は別フォルダーに保存されていて、この第一の記憶が優先されている。どう選別したのかはわからないが、この体の脳が気に入る記憶は上書きされ、矛盾のある記憶は別フォルダー、という感じかな。幼少時からの性格形成は似たようなものだから、基本の性格はほぼ同じだ。しかし、知識体系は大いに違う」


「これからどうするの?」「明日、直接会おう。この第一は、今GWが終わるくらいだ。明日は金曜日だから、大学のゼミがあるんじゃないか?」
「え~っと、そうね、ゼミが有るわね」
「明日、ゼミが終わるのは何時だい?」
「5時ぐらいかしら?」
「じゃあ、お茶大に5時に迎えに行くよ。春日通りの付属高校の入口前に路駐しているから」
「あら?車?」
「そうそう、車。それから、ママには、金曜日の夜から日曜日まで友達の家に泊まるからとか、口実を考えておいて。着替えも持ってくるように」


「え?お泊り?エッチ、しちゃうの?火曜日までと違って、メグミは39才の加藤恵美でもあるわけで・・・」


「何を勘違いしているのだ。8年間、私が何もせずにさぼっていたわけじゃない。何かに手繰り寄せられて、心の声みたいなものを聞いて、1970年からいままで世界と日本で何があったか少しずつだが思いだしていた。われわれの活動資金を作っていた。ティーンエージャーが内緒で資金作りをするのは大変だったよ。ドルや株を買ったり売ったり。隠れ蓑の会社も設立した。事務所もある。研究所も有る。マンションも2つ、会社名義で購入した。金曜日から日曜日まで事務所やマンション、研究所をキミに紹介して見せて回るつもりだ。それで、これからどうするのかも説明しておこうと思っている」


「なぁ~んだ、そういうこと。ちょっと期待しちゃったのよね。39才の私がいるこの肉体は20才なわけでしょ?豊富な知識にこの若々しい肉体だから、かなりなことができると思って」


「わからなくもないよ。だけど、キミのほうがまだいい。私の場合なんて、39才の私が12才の男の子の肉体に宿ったんだぜ?豊富な知識が12才のチビに宿ったんだ、何もできなかったんだよ。最近になって、やっとそういう年令になったからマシになったのだけどね。だから、メグミの気分もわかる」


「う~ん、複雑。だって、あっちの第三では私たちはそういう関係じゃなかったんだから」
「ここじゃあ、状況が違う。第一、39年間の知識のある20才のメグミがこの世界の同年輩の男性とお付き合いできるか?この世界で、自分のことを隠して、結婚できるとでも思う?男の子ならいろいろと方法がある。風俗だって有るし、普通の女の子とキスしちゃポイッもできるけど、80年代の20才の女の子にはそれは難しい。まだまだ、18才前に処女を捨てちゃえ、とかの風潮までは一般的じゃないんだよ。結婚までは貞操を守る、というのが一般的だったんだから」


「あら、そういうことまでは考えられなかった。だけど、確かにそうね。だったら、このメグミって女の子は進んでたんだ。親友のボーイフレンドを誘惑して寝ちゃうんだから」
「そうだね。あっちの、第三のキミとはいささか違うようだよ。大胆なんだな。でも、欲しいものは欲しい!という基本人格は同じなような気がするよ」


「う~ん、基本人格の指摘は腑に落ちないけど、なんとなくわかった。そう考えると、この状態で誰かを愛して人並みに結婚することは難しいわね」
「だから、今は、メグミがお相手できる可能性があるのは私だけ、ということ。もちろん、キミ次第ではあるけどね」


「私次第なのね?明彦?だったら、もちろん、やりましょう!」
「まあ、いい。とにかく、明日、会ってからいろいろ話そう」
「わかったわ。宮部博士、じゃない、明彦。じゃあ明日」

 覚醒4、1978年5月7日(金)

 ゼミが終わり、メグミはお茶大理学棟から春日通りのお茶の水女子大付属高校正面の駐車場まで歩いていった。彼女がキョロキョロ見回すと、黒いエナメル塗装の車のドアが開いて、明彦が出てきた。「おい、メグミ、こっちだ」メグミは車に駆け寄った。


「明彦、この車って?なんか、すごいじゃない?」
「かの有名な、って、私も知らなかったんだけど、日産スカイライン2000ターボGT-Eという車らしい。リアシートの乗り心地はいただけないが、フロントシートはかなりいいよ。さ、お嬢さん、お乗り」と言って、明彦はレフトドアを開けた。


「変な車!ドアミラーがない!」
「当たりまえだよ。83年まで国産車はドアミラーが違法だったんだから。これはフェンダーミラーと言うんだ」
「そういえば、そうね、走っている車でドアミラーの車なんてないわね」
「そうそう、それから、この時代は、ドライバーもナビもシートベルトをしないでいいんだけどね」いろいろこの時代は違うのだ、とメグミは思った。


 目白、新宿を通って、明治通りから竹下口を左折して、原宿通りに曲がった。狭い道を右左に進んだ後、明彦は一軒家の前で車を止めた。車を降り、鍵で玄関を開け、家の駐車場のシャッターをあげた。車に乗るなり「この時代、リモコンシャッターなんてないんだよな」と明彦は言った。(大変な時代にジャンプしたものだわね)とメグミは思った。


「よく思いだしてほしい。今は1978年。JRはまだない。国鉄は民営化されていない。日本国有鉄道の時代だ。自動きっぷ券売機なんてない。切符売り場で駅員から買うんだ。改札口では駅員が改札はさみで切符に印をつけて入場を確認していた時代だ。


 NTTもない。ドコモもない。日本電電公社が唯一の電話会社だ。ポケベルは既にある。屋内の固定電話のコードレス機もある。自動車の車載電話は去年発売された。23区内だけだけどね。だけど端末の大きさが10kg。車のトランクルームに積む大きさだ。あと2年待てば1キロくらいの重さになるからそれを待とう。メグミのポケベルは買っておいた。ポケベルで呼び出しがあれば公衆電話から応答できる。テレホンカードが発売されるのも2年後だ。家庭にあるのはダイヤル式の固定電話。お店や電話ボックスにあるのはダイヤル式の青電話だ。100円玉は使えるようになった。ただしお釣りが出ない。いつも、10円玉、100円玉を持ち歩くようにしてくれ」


「第三では、78年というと私が8才の頃だからそんなものを使う年齢でもなかった。第三の記憶は役に立たないわね。ここの、第一のメグミの記憶に頼るほかはないのね」


「そういうことだ。海外との連絡はテレックスだ。事務所に据え付けた。FAXも買った。A4サイズの原稿を1分で送信するG3規格タイプだ。アメリカと日本はFAXが早く普及したが、ヨーロッパは遅れていた。たぶん、後5年しないとFAXは導入されないから、ヨーロッパとの通信はテレックスだろう。ワールド・ワイド・ウェブはセルンが開発中だ。89 年まで待たないといけない。コピー機はある。これは最新型を用意しておいた」


「あ~あ、アナログの世界じゃないの。こんな世界で私たちに何ができるのよ?セックスぐらいしかやることないじゃない?」
「できることはたくさんあるよ、メグミ」


「あのね、明彦、H・G・ウェルズだって筒井康隆だって、世界のタイムトラベル、タイムリープを扱ったSF小説で、39才の女性の記憶を持った20才の女の子の性欲に関して書いてある小説なんかなかったわ。セックスの技巧の知識が39年分あって、20才のまだ使い古していない体があるという話を誰も書いてないなんて不思議じゃない?」
「それはSFの本論から外れるから・・・」


「違うわ。小説家は自分で体験していないだけよ。私たちと違って。これは私たちのノンフィクションのリアルな現実なのよ。怖いわよ、この現実は。誰かにすがりついていないと自分を見失いそうよ」と内股に閉じた太腿を両手でさすりながら上目遣いですがるように明彦を見てメグミは言った。


「その話は後にしよう。まず、私たちの目標は、森、島津、小平、湯澤、ジャヤワルダナを探して、転移が起きる際の準備をしておくこと。次に、資産を運用して、活動資金をもっと作ること。今、だいたい2億円ほどある。だけどこれじゃあ足りない。2015年まで37年間あるから、十万倍くらいには増やさないと」


「十万倍って、20兆円?」
「そう。そのくらいないと、自前の加速器や転移装置が持てないだろう?」
「それは小平先生のストーリー通りにやればいいのよね?」


「それはそうだが、小平先生だって具体的にどうすればいいのかまでは計画していなかっただろう?転移前に私は学習しておいた。来年79年はイラン革命の年だ。これからそれに向かってイラン情勢は混迷していく。今、ドルと円相場は220円。来年の年末はそれが260円まで円安になる。それが80年には210円の円高だ。81年は199円まであがるが、それをピークに82年には278円に下がる。こういったことは忘れてしまうから、私の第三の記憶がすべて戻らなかった頃でも、心の声に従って、このノートに1970年から起こったことを書いておいたのだ。このデータを元に、ドル、円の売買をして、ドルが安い時にドル転する。1986年までにマイクロソフトやデル、GAFA株を購入するドル資産を準備しておいて、マイクロソフトが1986年株式公開した時にすべてのドル資産をつぎ込む。マイクロソフト株は1999年まで右肩上がりだ。86年の株が600倍近くなっているはずだ。90年にはデルが株式公開するはずだから、それも買う。1999年までに千倍になるはずだ。2000年までに2兆円くらいになるだろう。これらの取引をNWOに気付かれないように密かに行わないといけない。私が小さい頃、あの70年の頃から、野村證券に口座を作っておいたのだ。すべての取引は個人名を使わずに、われわれのアルファ平和研究所という私企業を通じて行う。アルファ平和研究所はホールディング会社として、その傘下に複数の会社を設立する。この時代の錬金術師の堤康次郎、堤義明の手法を真似する。アルファ平和研究所は、西武鉄道の親会社だった国土計画株式会社みたいなものだ」


「途方も無い話ね」
「NWOに対抗するためにはやむを得ない」
「私たちに普通の幸せはないのね?」
「それは諦めなきゃいけない」


「まったく、私の読んだSF小説にはそんな結末は書いてなかったわよ。わかったわよ。諦めるわ。それで私は何をすればいいの?」
「メグミは、このアナログ装備を使って、野村證券の担当者に相談しながら、為替取引、株売買をやってもらう。もちろん、私もやるが、私は会社運営や転移していない一般人から仲間を集める仕事などをやる」


「私は物理学者よ?」
「仕方ないじゃないか。でも、一から始めるわけじゃない。次に・・・」
「まだあるの?」


「あるよ。次に、私は大学院卒から高エネルギー物理学研究所に潜り込み、キミは東大の院に進学して、宇宙線研究所に潜り込む。あと4年経てば、小平先生が転移してくるはずなので、キミのマスターコースの終わりには小平先生が手助けしてくれるだろう。そうしたら、宇宙線研究所付属のカミオカンデの担当ができる。その後、セルンに就職する。私はそのまま高エネルギー物理学研究所が統合されて、97年にKEK(高エネルギー加速器研究機構)が発足するから、KEKのセルン担当になる。それから、私たちが覚えている限りの78年の今から2015年までの物理学の進展や社会の動きを思いだして記録に取っておくこと。それらの理論は公にはできないが(歴史が変わってしまうからね)、ガンマ線バーストの研究を進展させて、第三の滅亡を阻止することも視野に入れておくのだ」


「明彦は人使いが荒いわね。ご褒美をたくさんくれないと、ストを起こすわ」
「ご褒美って?」
「知っているくせに・・・」
「わかった、わかった。まだある。今年の12月24日は島津くんとの第一回目のコンタクトだ。これは覚醒を伴わないが、私と彼女が関係を持たないと、来年の6月13日の覚醒に問題が出るかもしれない。来年の2月17日には森くんが覚醒するはずだから、今から森くんを探し出しておいて、彼女の覚醒の瞬間には私たちはそこにいるようにする」


「やっと、援軍がくるのね・・・ちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだい?」


「森さん、絵美も私と同じよね?39才の女性の記憶を持った20才の女の子よ。島津さんは、洋子は、39才の女性の記憶を持った26才の女性よ。悶々とした女が3人に増えるってこと?」
「みんながみんなメグミみたいに悶々とする女性であるわけないじゃないか?」


「それはそうだけど。絵美はそうよね。彼女の性格は悶々とするわけじゃないわ。でも、洋子はどうなのよ?あのおっぱいオバケは?明彦、今年の12月24日に洋子に会うのよね?」
「ああ、会わないと、来年の6月13日の覚醒に問題が出るって言ったじゃないか」


「嫌な予感がする。まったく、SFって、やっぱりたかだかフィクションなのよ。バック・トゥ・ザ・フューチャーのロレイン・マクフライは悶々としていたけれど、ガールフレンドのジェニファーが悶々とした?エメット・ブラウン博士はクララを襲って犯しちゃった?『時をかける少女』で原田知世は性欲に悶々とした?」


「キミが話すと、シリアスな第三の滅亡やNWOの話がシリアスでなくなっちゃうじゃないか?」
「第三の滅亡よりも、NWOの世界征服よりも、あなたが、この39才のおばさんの知識を持った20才の悶々とした小娘を救ってくれることのほうが大事なのよ!」


「それももちろん大事だ。覚えておく。しかし、メグミ、忘れちゃいけない。ここは今1978年なんだ。キミの第三の記憶で話しているが、バック・トゥ・ザ・フューチャーは1985年の映画だ。原田知世の時をかける少女は1983年の映画だ。常に時間軸を忘れてはいけない」