フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

なんちゃって、ひと目で分かる「三位一体」

 日本人で、キリスト教の「三位一体」はよく理解できていないご様子の人が多い。私だって、よく理解できていないご様子です。


 欧米の教育機関で「トリニティー・カレッジ」という大学の名前を聞いたことがあるかも知れません。これは「三位一体大学」です。


 キリスト教の「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」というお祈りを聞いたことがあるかもしれない。

天にましますわれらの父よ、

願わくは御名の尊まれんことを、

御国の来たらんことを、

御旨の天に行わるる如く

地にも行われんことを。

われらの日用の糧ひごとのかてを、

今日こんにちわれらに与え給え。

われらが人に赦す如く、

われらの罪を赦し給え。

われらを試みに引き給わざれ、

われらを悪より救い給え。

アーメン。

「父と子と聖霊」が「三位一体」です。


 英語だとこんな関連性を示した図で書かれていることが多い。

 ラテン語ではこんな感じ。


「この教理は何世紀にもわたり、多くの論争を引起しながら徐々に形づくられていった。当初、旧約聖書から受け継いだ一神教的要求と聖書の教えをギリシア=ローマ的宗教に解釈する必要性からロゴス (言葉) としてのキリストの神性は頂点に立つ神の下に位置するものと解釈されていた。


 また一方、父、子、聖霊は一つの神のうちにある三つの位格をそれぞれ啓示しているが、神そのものが分れて存在するものではないとする別の解釈もあった。前者には父、子、聖霊にはっきりとした区別を認め、それぞれが同等ではなく、したがって神の単一性も否定 (聖子従属説) し、後者には神の単一性を認めるが、それぞれの位格が異なる (様態説) という特徴がある。父、子、聖霊の違いと単一性の論争が、一つの実体において三つの位格が存在するという教理にまとめられ、一般に認められるようになったのは四世紀になってからである」


 四世紀の助祭長であったアタナシオスは、イエスと神は同じであり、同一の存在であると唱えるようになる。他方、長老アリウスをはじめとする人々は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書見解を守った。西暦325年、こうした論争を解決するための教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。異教徒であったコンスタンティヌスはこの会議において、アタナシウスの側を支持した。その結果、聖書に忠実に従おうとしたアリウスの述べた見解は異端と宣言された。

 どっちでもいいがな、なんて思ってしまうが、キリスト教を信仰する者にとっては、イエスが神と同じか、神に創造されたもので御父に従属するか、大問題なんである。私は、長老アリウスという異端になってしまった「イエス神に創造されたもの」なんじゃねえの?と思ってしまうが。


 まあ、部外者にはよくわからない話なんだが、このアタナシオス(アタナシウス派)の、


「父」「子」「聖霊」=「三位」=「神」(一体)


 というのがよくわからん、という人のために、日本語で、簡単な図を作りましょう。

 上の図ので、◯数字で言っているのは、


① 神は父である、
② 神は子である、
③ 神は聖霊である、
④ 父は子に非ず、
⑤ 父は聖霊に非ず、
⑥ 聖霊は子に非ず、


と言っている。わけわからんって?そりゃあ、そうだろう。神って父じゃないのか?とも疑念に思う。当然である。


 ま、そこでだ、「父」「子」「聖霊」とか「神」とか言っているから混乱するのであって、混乱しないために言い換えよう。


「H2O」という物質の化学式という概念があって、それが通常圧力だと、固相、液相、気相という形をとって、同じ「H2O」という物質ながら、「水」「氷」「蒸気」になる。

すると、


① H2Oは水である、
② H2Oは氷である、
③ H2Oは蒸気である、
④ 水は氷に非ず、
⑤ 水は蒸気に非ず、
⑥ 蒸気は氷に非ず、


 こじつけですが、イメージとしては、こういうのが「三位一体」の意味、なんて言うと宗教者から怒られます。


 やれやれ。