フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

北千住物語 第一章 出会い Ⅱ

北千住物語

第一章 出会い Ⅱ


八話 武くん、呟く

 ある日の夜、ぼくはアパートでパソコンにむかっていた。ぼくの部屋は狭い。1K六畳に階段でよじ登るロフト四畳なのだからしょうがない。六畳は伸縮式テーブルと椅子を設置した。テレビを置く場所などないので、天井から床までの突っ張り棒で32インチのテレビ兼パソコン・モニターを壁掛けにしている。それに無線のHDMIの送受信機を組み合わせて、ノーパソとTVモニターのデュアルで作業している。


 大学のレポートも一段落した。テレビを見ても最近の地上波って面白くないので見る気もしない。NHKの放送受信料がもったいないが、ニュースとドキュメンタリーくらいは見る。さて、何をしようか?フェイスブックもつまらない。インスタも飽きた。LINEがなんか出会いばっかりで、ちょっとつながると山程の業者メールが来る。それで、最近は「note」に創作を書いている。多少反響があって、フェイスブックみたいに今日の献立、とかの書き込みだけではないのが楽しい。う~ん、何を書くか?高校の同期の経験談とぼくの経験をミックスしたこんなのはどうかな?


――――――――――――――――――――――――――――


 中学の頃、キスなるもののやり方がわからなかった。TVで放映されるのは軽い唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスばかり。古典だけど、サウンドオブミュージックはまったく参考にならない。あれで、フォン・トラップ大佐はどうやってあれだけの子供をこさえたのだろうか?ジュリー・アンドリュースも子供が出来るんだろうか?などと思ってしまった。ローマの休日も参考にならず、せいぜい嵐が丘とか風と共に去りぬといったところ。しかし、キスシーンは1分と続くかない。あんなものなんだろうか?と頭の中は疑問符だらけであった。


 実は、ぼくは小学校3年生の時にキスされたことがある。ぼくの実家の後ろに住んでいた県会議員の孫娘にだ。館知子という女の子。幼なじみだ。


 彼女の家の庭の芝生で彼女とママゴトをして遊んでいた。というか、遊びにつき合わされていた。知子が周囲を見回して、誰もいないのを確かめたんだ。ぼくは「何?」と思ったら、顔を近づけてきて、唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスをされた。驚愕の思いで言葉が出ず、体も動かない。で、彼女がまたキスをした。ロッテのジューシーガムの味がした。(彼女がくれたんだ。同じ味だったろうな)それで、小学3年生にして、キスして勃起してしまった。本能的に性行為に近いということが体でわかるんだな。


 それ以来8年間、キスとはご無沙汰だった。2度目のキスは、キスのプロだ。商売のプロではなく、キスのプロ。フランス系アメリカ人の年上の女性。はるかに年上の女性。


 ある日、ぼくは彼女の家の玄関のドアを押してみた。その家というのは、横浜の米軍居留地の家だった。玄関は鍵がかかっていた。それで、いつものように、裏庭からキッチンに入った。誰かがいる?気配がした。キッチンをとおってリビングに行く。リビングは、アメリカのホームドラマそのまま。TVが壁際においてあって、その正面にカウチがある。カウチに彼女のママが横になっていた。ふつうに横になってるんじゃなくて、ママはワンピースをたくしあげて、パンティーの中に右手を入れていた。ちょっと股を開いていて、眼をつぶり、鼻から息を深く吸い込んでは吐き、自分の性器をまさぐっている。それがとても美しくて、荘厳な光景だった。


 数分間、ぼくはママが自慰しているのを茫然と見ていた。それで、何も考えなく、カウチに近寄り、ママの肩に触れた。ママが眼を開いた。彼女はいってしまっていて、その後の余韻で理性も何もなくなっていたんだろうか?トロンとした眼でぼくを見て「タケシ?」と言った。カウチの自分の横の部分をトントンと叩いてここに座れという。ぼくが座ると「タケシ、見ていたの?」と言う。「イエス、ちょっと前から・・・」「じゃあ、私のAccessoryじゃない?」「Accessory?」「Crime caseで、一緒にしちゃうことよ」「共犯?」「え?」「なんでもない、日本語です」「じゃあ、本当に私のAccessoryにならないとね・・・」「え?」


 この時初めて、キスというのは唇と唇を触れ合わせるだけではなくて、首筋にも、頬にも、体中のあちこちにするもんだということがわかった。口先だけでもいけない。腰が引けてしまう。キスは、胸と腰を引きつけて、全身で表現する。顔も角度はお互いが45度。鼻をかわして、唇の周縁がすべて相手と密着するようにして、舌を相手とワルツを踊るようにかわす。口と口でも、軽く強く、舌を吸い合い、絡ませ、噛み合い、吸い合うということを学習した。奥が深い。そして、また八年間のように勃起してしまった。


 どう歯と歯がぶつかり合わないかも学習した。最初は怒られた。ぼくの歯がガチガチと相手に歯に当たった。そりゃあ、17才なんだから落ち着けと言うのが無理というもの。とにかく、フォン・トラップ大佐とジュリー・アンドリュースの状態から卒業できたわけだ。『サウンドオブミュージック』から一気に『チャタレイ夫人の恋人』まで昇格した。やれやれ。


 でも、最後の一線は彼女とはなし。ぼくは童貞のままだった。最後の一線手前まではなんどもいったけど、彼女は彼女相手にぼくの童貞を捨てることは許さなかった。だって、彼女はぼくのガールフレンドのママなのだから。彼女は、ママと私が彼女のいないときに、ときどきしているのをアメリカに帰国するまで知らなかったし、今でも知らない。まあ、土足でズカズカと他人の家にはいると、こういうことになってしまうんだけどね。


 で、大学生になった。一応キスは専門家となったが、困ったことに相手構わず奥義を開陳するわけにもいかない。軽いつき合いでは、軽い唇を軽くすぼめて触れ合わせるようなキスばかり。相手はこれで満足してしまうことも多い。日本人、キスがあまり好きじゃないようだ。


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 なかなかエッチだ。カエデや美久に見られたら怒られる。だから、「note」は偽名。巧妙だ。


 最近はいろいろあったなあ、と思い出す。一人暮らしを初めて、美久に出会って、喧嘩までして。美久に「結婚してください」なんて言われて。あ~、恥ずかしい。「結婚してください」って言われた後も驚いたよなあ。美久のお父さんが出てくるんだもの。


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 美久さんがぼくに向き直って「ありがとうございました」とお辞儀をする。「なんてことはないですよ、美久さん。南禅さんと羽生さんも駆けつけてくれたし、どっちにしても勝てた喧嘩です」


「いいえ、タケシさんがやってくれなかったら、私、やられていたかもしれない・・・」また、美久さんが涙目になった。


「タケシさん」涙目で湿った声で美久さんがぼくの眼を見た。「はい」とぼくが答えると、美久さんが、「わ、私と、け、結婚してください!」と言った。


 女将さんも三人組も自衛隊組も振り返って目を見開いてぼくらを見た。


「え?」なんだ?どうしたのだ?ぼくは言葉もなかった。


 調理場から女将さんが出てきて、立っている美久さんの前に出た。「美久ちゃん、兵藤さんを困らせちゃダメ。昨日、今日、会ったばかりじゃない?急に結婚とか言われて兵藤さんも困っているでしょ?」と美久さんの頭を抱いて優しく言った。


 しかし、美久さんは女将さんを突き放して言った。「姐さん、姐さん、私はダメな女だよ。後輩も守れない。弱いんだ。紗栄子が輪姦されたときも・・・」


「あねさん、過ぎたことっす・・・」と紗栄子が言う。
「バカヤロウ、過ぎないよ。おまえは輪姦されて処女犯されていまだに悪夢を見るだろう?そんなおまえを私は守れなかったんだ。あのクソッタレ共。関東連合の連中とか、怒羅権の連中とか、弱い女に食らいつきやがって。犯してシャブ打って売りやらせやがって。だから、私は年少覚悟でとっこんでいったんだよ、ヤツラの事務所に。だけど、それで卒業って、お前らの面倒も見られないで、自分だけ大学なんて入っちまって、ハイ、さようなら、とお前らに言えるか?私だって気にしてるんだ。くそったれ。それでさ、今日もだ、タケシさんがいなかったら背後からやられてたよ。弱いんだよ、私は。おまえらの面倒もみれないし、勝手に足抜けみたいに抜けて、いい気になって、それで、彼氏さんができそうなんて、有頂天になって、なんてアホな女なんだ、私は。それで、タケシさんに結婚してくれなんて、私はバカだ、おおバカだ」


 三人組が駆け寄って、美久さんを抱きしめておんおん泣いた。美久さんも大泣きしている。


 ぼくは美久さんに近寄った。三人組が美久さんから離れる。ぼくは美久さんを抱きしめた。なにも言えなかった。もっとギュッと抱きしめた。美久さんがぼくのセーターをつかんで、顔をおしつけてくる。顔を左右にふる。ぼくのセーターがぐしょぐしょになる。


「おかしいだろ?タケシさん?後輩も守れないで、自分だけいい子になってみて、タケシさんが欲しい、結婚してください、なんてさ。大学にもいけしゃあしゃあと行っちまって。矛盾しているよね。おっかしいよね。悔しいよ。世の中、おかしいよ。私、どうすればいい?タケシさん?どうすればいいの?みんなも守って、タケシさんも好きになって、大学も楽しんでって、普通ができないんだ、普通が、わたしには」
「美久さん、いや、美久、今日あげたろう?スノーボール。キミは、彼氏からスノーボールをプレゼントされるのが夢だっただろう?夢はかなえないと。なにかが起こるし、なにかを起こそう、二人で。いいんだよ、大学に行ったんだ、楽しまなきゃウソだろ?ぼくに一目惚れしてくれたんだ。受け取った。前はうまく行かなかったけど、今日は幸運にもうまくいって、輪姦されなかった。これから変えるんだ。節子さんも紗栄子さんも佳子さんも変わるんだ。ボクらだけじゃない、女将さんだって、南禅さんだって、羽生さんだって、もちろん、美久のお父さんもついている。すべては見過ごさないで、変えていくんだ、これから。ぼくらが」


 美久さんは、グシャグシャに大泣きした。三人組も。女将さんも。自衛隊の南禅さんと羽生さんも涙ぐんだ。


 そこに引き戸を開けて、美久さんのお父さんが入ってきた。「おっと、なんだ。いい場面で悪いな」とパイプをふかす。「愁嘆場で悪い、悪い。もうな、道路の前から恥ずかしい声が聞こえたよ。美久もまあいい大人が、昨日今日あった男性に結婚してくださいとか、私は弱いとか、止めときな。さっき警察に寄ってきたよ。女将さんから逐一聞いたから。こりゃあ、町内もシメてかからないと、大変なことになる。節子ちゃん、紗栄子ちゃん、佳子ちゃん、それと美久、おまえのレディスのメンバーだって、これで終わりじゃないぞ。町内の連中も見て見ぬ振りをする訳にも行くまい。わたしらも努力しよう。しかし、気をつけないとな、みんな」と美久さんのお父さんが言った。


 そして、ぼくの方に向かって、「兵藤さん、娘を守ってくれてありがとう。お礼を申し上げる」と一礼して「しかし、このバカ娘の戯言は忘れてください。何を結婚だとか、自分のケツも拭けない青二才が」


「いえ、お父さん、美久さんの気持ち、よくわかりました。受け取りました。忘れることはできません」
「まあ、それは兵藤さんの気持ちに任せる。まったく、バカ娘、手間ばっかりかけおって」と美久さんのお父さんはゴチンと美久さんの頭にゲンコを食らわせた。「痛ってえな、バカ親父!」
「女将、酒。ほれ、みんな酒を飲むんだ。そこの高校生、お神酒と思って、おまえらも飲め。清めのお神酒だ。わしが許す」
「美久さんのお父さん、美久さんを外に、外に、っていっても店先ですが、連れ出しちゃあ、ダメですか?二人で話をしたいんですが・・・」
「兵藤さん、いいよ。バカ娘だから、煮て食おうが焼いて食おうがスキにしていいよ」


 ぼくは美久さんの手を引いて、店先に出た。「タケシさん・・・」と美久さんが言う。ぼくは彼女の唇に指を当てて、シィーと言って彼女を抱きしめた。「ねえ、美久さん?」「なんですか?タケシさん?」「あのね、ぼくは経験はあるけど、寸止めで一線を超えていないヘタレの童貞なんです」「・・・あ、あの、今、それを言う場面?タケシさん?」「言っておきたかっただけ」「あ、あの、わ、私は、まったく経験のない処女です」「お付き合いして、ふたりとも納得したら、お互いの童貞と処女、捨てちゃいましょうか?」「それって・・・」「お互い、納得して、捨てた時、結婚しよう、納得できたら」「あ!」「『あ!』って何?美久さん?」「私、今日処女捨ててもいいかも!」「気が早い人だ。ほら、もっとハグしましょ」「わ、私、タケシさんの妻になりたい」ぼくと美久さんはズッと抱き合っていた。


 店内からは笑い声が聞こえてきた。


 ぼくは美久に彼女の生まれて初めてのキスをした。


九話 楓ちゃん、話す


 自己紹介しよう。ぼくの名前は兵藤武。首都圏の大学の理学部の一年生。ぼくの家族は、父とぼくだけだった。10年前に母と死別して、それ以来父と二人三脚で生活してきた。でも、父が急に再婚したいといった。ぼくはうれしかった。母が亡くなって以来、父は寂しそうだった。


 新しい母は父と同い年。彼女も夫と死別した境遇で、父はその境遇にシンパシーを感じたようだ。義理の母には、連れ子がいた。高校二生女の子。ぼくにとって義理の妹。
彼女たち二人が、我が家に移り住んできました。我が家は一軒家。寝室は五部屋。1階に二部屋。二階に三部屋。父と義理の母は一階を使う。ぼくは前からの自分の二階の部屋を使う。義理の妹は空いていた二階の部屋に移ってきた。それもぼくの部屋の隣。洗濯物を干すベランダがつながっている。他の部屋に行けばいいのに。ちょっと気になる。兄、妹とは言え、血のつながっていないティーンの男女に同じ階の部屋をあてがうのはいいんだろうか。それともぼくの気にしすぎなんだろうか。


 最初の夜、家族で自己紹介をした。


 父と義理の母はお互い知っている同士。父は技術者だ。大きな声では言えないけど、国家機密を扱う。義理の母は、国際線のCA。ふたりとも家を留守にすることが多い。まずいじゃないか?
ぼくは、陰キャみたいなもの。それほど友人もいない。ゲームとかにもあまり興味はない。二次元の女の子の出てくるマンガばかり読んでいる。ちょっと合気道なんてやっているけど。我ながらあまりおもしろいやつじゃあない。そういうことをボソボソと説明した。


 義理の妹の名前は楓。カエデ。自分の紹介でハキハキと自分のことを説明する。中学高校一貫教育の女子校に通っている高校二年生。趣味は、ゲームとカラオケ。友達と遊ぶこと。部活は陸上部。のりの良い軽い女の子です、っていってる。ぼくより二才年下だ。


 それで、自己紹介はおしまい。


 あまり義理の妹と共通点はなさそうだ。彼女は陽キャっぽい。


 ぼくは一人暮らしを考えている。父に義理の母という相手ができたのだから、ぼくは邪魔だろう。義理の妹と接点がなさそうでも、その間、適当に付き合っていればいいじゃないかと思った。
自己紹介はお開き。食事をして、それぞれお風呂を使って、父と義理の母は一階の彼らの部屋に。


 ぼくと義理の妹は二階のぼくらの部屋に。


 ぼくは、借りてきたマンガを読んで、ベッドに横になっていた。


 十一時半くらいだったかな。ドアを静かにノックする音が。


(父かな?)


 と思って、どおぞ、といった。


 そうすると、義理の妹のカエデが入ってきた。真夜中に。カエデは、ショートヘアでぼくよりも数センチ背が低いくらい。ぼくが176センチ、彼女は170センチくらいある。彼女の背は高いほうだな。彼女はかなり可愛い。クラスで上の方から1、2番くらいの位置。小顔で、それに手脚が長い。


 ぼくは起き上がって、ベッドに腰をおろした。


 カエデは、ベッドの前に正座。服装がよろしくない。グリーンのタンクトップにノーブラ。ボトムはトップに合わせた同色のショートパンツ。東京ガールズコレクションで極ミニデニムパンツと言っていたやつ。昼間はアメリカンカジュアルで、夜は、思いっきりギャル系ファッションなんだ。


「武さん、今日からよろしくお願いいたします」とカエデは手をついてお辞儀をして言う。タンクトップの間から彼女の乳首が見えた。ヤバい。ぼくにとって刺激が強過ぎ。大丈夫かな、この子と一緒に暮らすの。早く家を出ないと。
「こちらこそ、よろしく」とぼくは言った。
「武さん、わたしは、武さんをどう呼んだらいいの?兄?お兄様?お兄(おにい)?武さん?」
「それはカエデさんが好きなように、どうぞ」
「・・・じゃあ、最初から馴れ馴れしいけど、お兄でいい?私のこともカエデと呼んでください」
「いいよ」とぼくは答えた。一人っ子なので、普通、妹がどう兄を呼ぶのか、知らない。
「お兄、わたし、自己紹介でいろいろ言っちゃいましたが、一つ悩んでいることがあります」と言って下を向いた。
「あの、その悩みって?」
「・・・私、性同一性障害かもしれないんです。お兄はそういう妹をもって、どう思いますか?」
「・・・と、突然でわけがわからないのだけど、カエデちゃんは自分が男の子だと思っているの?」
「そうです。男の子を好きになったことがありません。女の子だけに恋愛感情を持っています」
「女子校だから経験不足とかさ。いろいろ理由があるでしょう?それに物理的にか精神的にか、そういうのって、病院で判定するものじゃないの?調べてもらいました?」
「いいえ、ネットのジェンダー判定とか自分でいろいろ調べただけ、それだけです」
「う~ん、それじゃあわからないじゃないか?それに、第一、まず、父とお母さんに相談すれば?」
「いいえ、ママとパパには相談できません。まず、お兄にお聞きしたいんです」
「それは、なぜ?」
「お兄は、義理とはいえ、兄と妹。私にとって男性じゃないと思います」
「いや、あのね、ぼくは充分男性ですけど・・・」
「私にとって、今や、もっとも身近な男性です」
「・・・兄と妹だよ、血はつながっていなくても・・・」
「そうですよね・・・お兄がよかったら、男の子に私が感情を持てるのか、試させてくれませんか?」
「・・・そ、それはどういうこと?」
「私がほんとうに性同一性障害なのかどうか、お兄といろんなことを試してみたいんです。私、処女です」
「・・・ぼ、ぼくも童貞だけど・・・」
「じゃあ、私がお兄を受け入れられるか、試したいんです」
「・・・それはマズイでしょう?」
「何もセックスして欲しいということじゃなりません」
「え?じゃあ、何をするの?」
「私にキスしてください。お願いします」
「・・・だから?え~・・・」
「その子とのキスとどう違うのか、お兄という男性とキスして嫌悪感を抱くのか、知りたいんです」
「カエデちゃん、それは・・・」
「お兄なんだから、普通の男の子、男性じゃないでしょう?だから、大丈夫です。試させてください」


 ぼくは、これは何かの罰ゲームなのかと思った。頭がクラクラしてきた。錯乱するぼくの横を猫のようにスルッとすり抜けて、カエデがぼくの横に座ってしまった。


「カ、カエデちゃん、何してるの!」と思わず大きな声を出してしまった。
「お兄、声が大きい!」と小声で言って、カエデがぼくの唇に人差し指をあててきた。「ママとパパに聞こえるよ」と言う。
「カエデちゃん、だめだろ、これ」と小声で言う。カエデがぼくの方を向いているので顔が近い。


 近すぎる。彼女の顔がぼくの数センチ正面にある。彼女の髪の毛からは父とぼくが使わないようなシャンプーの良い香り。フローラル系。彼女の唇はぼくの正面。彼女のミント系の甘い吐息。ダ、ダメじゃないか、これって。


 彼女はぼくの首の下に両手をまわた。


「カエデちゃん、だめだろ、これ」
「そんな女の子みたいなこと言って。お兄、本当にダメだったら私を押しのけたりするのに、そういうことしないんですね?」
「それは・・・乱暴なことは嫌いだから・・・」
「そうかなあ・・・ねえ、じゃあ、まず、お話しよう」
「お話?この体勢で?」
「そうです。私は処女と言いましたが、男の子に対して処女です。女の子とは処女じゃありません」
「え~っと、それって、女の子とセックスの経験がある、ということ?」
「そう。男の子に興味がないんだから当たり前でしょう?」
「それは誰と?」
「同じ陸上部の女の子。同期の子」
「その子とどうしたの?」
「あ!お兄、興味津々?」
「そんなわけないじゃないか?・・・いや、まあ、その・・・」
「正直に答えてお兄エライ。その子とはキスしてハグして・・・」
「まあ、年頃の女の子ならそんなに不自然じゃないじゃないの?お遊びでやる子もいるらしいよ」
「ええ?そうなの?」
「高校の頃つきあっていた彼女もそういう経験があるって言っていた」
「お兄!女の子とつきあったことがあるの?」
「こんなぼくだって、それくらいはある。今も彼女はいる」
「そうは見えなかったな。カン違いしていた。でも、童貞なんでしょ?」
「うん、そこまでの経験はない」


 カエデが急に右手をぼくの頬にあてた。「お兄、キスの練習させて」「ちょ、ちょっと・・・」カエデが強引に唇を尖らせて真正面からぼくの口に押し付けてきた。鼻が当たる。前歯がガチンとあたった。痛い。カエデは押し付けた口で吸い込むようにしている。カエデは息を止めている。そんなんじゃあ呼吸できないだろ?ハッキリ言って下手だ。


「カエデちゃん、ちょっとやり方が違うと思う」とぼくは唇を離して彼女に言った。「え?違った?ダメ?」「間違いとかダメというのはないよ」ぼくは右手をカエデの首筋に回す。彼女の顎に左手の親指と人差指をそえて、顎をちょっと上げさせた。右手で彼女の肩を抱いて、胸と胸がふれるように抱きしめた。「お兄、覚悟を決めたの?」とカエデが言うので、「このシチュでぼくにブレーキは踏めないよ」と答えた。もうこういうシチュでは止まらない。


「角度が悪い、カエデちゃんは。首筋をまっすぐにして。反り返ってもうつむいてもダメ。そうそう。肩の力を抜いて。目をつぶって。顎を少し上げて。まず、闘牛士のように相手の唇に突進しちゃダメだ。雰囲気をつくる」ぼくはカエデに頬ずりした。顔を回してカエデの鼻にぼくの鼻をスリスリさせる。カエデがハァハァする。「息を止めないんだよ、カエデちゃん。お鼻で呼吸する。口を半開きにして。そうそう。舌を宙に泳がせる」
「お兄、こう?」「舌を動かさないでいいよ。唇の全部のフチを相手の唇と合わす。密着させる。やってみるよ」ぼくはカエデの唇をぼくので押し包んだ。「どう?こうすると前歯はあたらないだろう?」「うん、大丈夫だね」「そうしたらぼくの舌の動きに合わせて舌を絡み合わせて」とぼくは彼女の口の中に舌を差し入れて、彼女の舌と絡み合わせた。


・・・イカン!!!


「カ、カエデ、こ、ここまで!ここまでだ!イカン!り、理性が吹き飛ぶところだった!」
「お兄、キス、うまい!本当に童貞なの?」
「正真正銘の童貞です!一線は超えていません!」
「すごい!お兄とのキス、イヤじゃない!」
「・・・あのね、カエデちゃん、ぼくはキミが性同一性障害なんかじゃなくて、単なる経験不足と思うな。ぼくの友達を紹介するから、付き合ってみればいいじゃないか?」
「いえ、お兄、私は今まで男性には嫌悪感しかありませんでした」
「だから、嫌悪感を持たない男性をみつければいいじゃないか?」
「それは、今のパパとお兄です!」
「・・・なんで、ぼくかな・・・カエデちゃん、世界は広んだから、もっと試してみないと・・・」
「だから、まず、お兄で試させて!」
「・・・たとえ、義理でも兄と妹。おまけに血はつながっていないんだから、問題だ。ぼくを実験台にしないで欲しい」
「・・・ダ、ダメ?」
「もっと、よくお話しよう。昼間にお話しよう。もう夜も遅いし、お父さんとお母さんにバレちゃマズイよ」
「わかりました。今晩は退散します。でも、もっとお話してください・・・」
「うん、寝よう。また、明日」
「ハイ、お休みなさい」


・・・やばかった。初日に義理の妹にキスの講習をしてしまった。理性が持ちこたえなかったら、やってしまったかもしれない。マズイ!


早く、家を出て一人暮らしをしようとぼくは思った。


十話 楓ちゃん、問う


 火曜日の夜、美久に彼女の生まれて初めてのキスをした後、店に戻って時計を見ると十時半だった。おっと、父も母も出張中、今日もカエデは家に一人でいる。防犯上いけない。


「美久さん、みなさん、両親が出張中で妹が家に一人なんで、物騒だからぼくはこれで失礼します」と言うと、女将さんが「兵藤さん、妹さん想いなのよね。エライわね」
「兵藤さん、妹さんがいるんだ?」と節子が言う。女将さんが「田中さんのところと一緒で、父子家庭だったんだけど、再婚なさって妹さんができたのよ」と解説してくれる。やれやれ。


「あ!それって、義理の妹さん?おいくつなの?」と紗栄子が訊くので、「高校二年生です」と答えた。「キレイ?」というので、背が170センチの小顔で陸上部の選手、中高一貫の女子校で、若い頃の水川あさみに似てるかな?と説明した。
「兵藤さん、妹さんでも、義理だから、血はつながってないよね?高校二年ってわたしらとあまりかわらないじゃん?ちょっと、危ない雰囲気?」と佳子がニヤニヤして聞く。美久が「佳子、タケシさんに立ち入ったことを聞くんじゃない!アホたれ!」と言って佳子の頭をぶん殴った。北千住は、頭をぶん殴る文化なのだろうか?「痛ってぇ~、ねえさん、殴ることねえじゃねえか。ちょっと、冗談を言っただけっす」と殴られたところの髪の毛をこすりながら言った。
「妹さんだぞ!タケシさんがそんな『危ない雰囲気』なんて持たないよ!」と美久が怒鳴る。おっと、その『危ない雰囲気』でぼくはこれから引っ越しするのだけど・・・話題がおかしくなってきたので「じゃあ、ぼくは失礼しまぁ~す」と言って退出した。


 店を出ようとすると、美久が「駅まで一緒に・・・」とついてきた。「美久さん、夜道は危ないよ。ああいうことがあったんだから、今日はお父さんと帰りなさい。明日も来ます。警察にいかないといけないでしょ?それで、家具の来る土曜日にまた来るから」と言って店にかえした。「お!早速振られたな、バカ娘」と美久のお父さんが言う。「このバカ親父!よけいなことを言うな!」と言い返す。「父親に向かってバカとはなんだ!バカとは!」と始まったので、ぼくは「じゃあ、また、明日」と退散した。


 神泉の家にもどったのが十二時前。また、昨晩のようにカエデちゃんが大魔神のように玄関で待っていた。「カエデちゃん、玄関に住んでいるの?今日はぼく、午前様じゃないよ」と言うと、「家に高校生の女の子一人おいてまたお酒飲んでるの?昨日に続いて今日も!あのさ、お兄、不動産屋さんなんかとそう続けて飲むの?まさか、その不動産屋さんって、女性?」と詰問される。下手にウソをつくといけないので「そう、女性」と答えた。
「どういう女性の方なんですか?お兄?」と大魔神のような顔で聞くので、「不動産屋さんの娘さんで、お店のお手伝いをしている人だよ」と答えた。まさか、昨日、一目惚れされて、今日はヤンキーと乱闘して、美久にプロポーズされたとは言えないじゃないか?


 昨夜と同じくまた、腕を引っ張られてダイニングに連行され、テーブルに座らされた。「ほら、お水」とカエデちゃんが水の入ったコップを差し出した。「もう、私もお酒のんじゃおうかしら」と言う。「未成年はダメでしょ」「家で飲むのに関係ないでしょ?私の勝手です!」と言って食器棚からロックグラスを二つ出した。冷凍庫を開けて氷をグラスに入れて、父の酒棚からウィスキーを持ってきた。


「カエデちゃん、ウィスキーは強いでしょ?おまけにロックで飲むつもり?」「お兄、ママはCAだから、お酒はふんだんにあるのよ、デューティーフリーのお酒が。私だって飲めます!」と言う。そうだった。カエデはお酒が強いのだ。スリーショットくらいグラスに注いでぼくにもグラスを差し出した。高校生の女の子がお酒を作って飲まされるなんて情けない。


「そう、それで不動産屋さんの娘さんと飲んだのよね?」「そうそう、彼女と”彼女のお父さんと”北千住の居酒屋で」「ふ~ん、そうなんだ」と『彼女のお父さん』を強調しても疑っている。女の勘なのか?
「その娘さん、おいくつなんですか?お兄?」
「ぼくと同じ大学の一年生」
「ちょうどいいってことですね?」
「なにがちょうどいいって?」
「お兄、一年近く、一緒に住んだから、だんだんお兄のことがわかってきたの。何か隠しているでしょ?」
「隠してませんって。何か、隠す必要がありますか?」と言うと、急に話題を転じた。カエデはフェイントをかけてくるのだ。
「その人、キレイ?」「え?・・・ええっと、そうだな、背はカエデちゃんより低いよ。160センチぐらいかな」「背丈の話じゃないんですけど。キレイ?」畳み掛けるように言われる。
「えええっと、そうだね、後藤久美子みたいかな?」「ゴクミ?」「そう、若い頃のゴクミ」「お兄、つまり、彼女は美少女タイプなのね?」「・・・まあ、美少女って言えば美少女かな・・・」「お名前は?」「お名前?」「彼女のお名前は?」「タナカミクさんだったな・・・」「どういう漢字?漢字でどう書くの?」「ええっと、美しいに久しいだったかな・・・」「お兄、彼女の情報、スラスラでますね?」「いや、自己紹介とかで説明するじゃないか?」「別に田中さんって名字だけでいいんじゃない?」「いや、向こうが説明したからさ・・・」立て板に水だよ、これじゃあ。
「やっぱり、何かある!」「何もないです!」すると、また話題を変える。
「お兄、おでこどうしたの?」「え?おでこ?」「赤剥けているんですけど?」「あ!ああ、これ。ほら、昨日説明したでしょ?中二階みたいな四畳の狭いロフトがあるって。天井が低くてぶつけたんだよ」まさか、ヤンキーに頭突きを食らわせた、なんて言えない。「バンドエイド、貼ってあげる」と今度は優しい。


 カエデちゃんは立ち上がって救急箱を出してきて、絆創膏の缶を開けた。消毒薬を塗られて、おでこをフウフウされ、絆創膏を貼られた。ぼくの顔の正面にカエデちゃんの胸が。佳子の勘はするどい。『ちょっと、危ない雰囲気』は相当正しい。


 カエデちゃんはウィスキーを飲み干してしまった。ぼくにも飲んでと言ってボトムズアップさせられる。やれやれ。もう開放してくれるかな?と思ったら、グラスを洗った後、「さあ、お兄、お部屋に行きましょう」と言う。「そうだね、夜、遅いから、もう寝ようか」と言うと、「今日は練習日よ」「練習日?」「そう、お兄はもう家を出てしまうから、練習しておかないと」「何を?」「キスを」「カエデちゃん、あのね・・・」


 そうなのだ。去年、彼女が引っ越してきてから、時々、キスの練習相手をズルズルとさせられているのだ。こんなこと拒むとどうなるかわからない。私は性同一性障害じゃないことを確認するだけ、だから、練習、練習といいながら、カエデは絶対に本気だ。


 ぼくは本気じゃないって?こんな美人とキスして体を密着させて、毎日歯磨きを一緒にして、本気にならないのはおかしいだろう?でも、キスとハグ以外はしない。暗黙の了解みたいなもの。それ以上は進まない。しかし、彼女の言う『キスの練習』はだんだんエスカレートして長くなる。「兄なんだから、問題ないわ」と彼女は言う。その論理は絶対におかしいだろ?


 ぼくは一日の内にゴクミみたいな女の子の生まれて初めてのキスと、若い頃の水川あさみみたいなツンデレの高校生の義理の妹とのキスを経験した。


 羨ましいって?冗談じゃない。ぼくは、物事がシンプルに進行するのが好きなのだ。昨日、一目惚れされて、今日はヤンキーと乱闘して、美少女のヤンキーの元総長にプロポーズされて初キスして、最後に美少女の義理の妹とキスするなんて複雑な日常を望んじゃいないのだ。


 水曜日はカエデが学校に行った後、午前中に昨日のヤンキーの調書の件で警察に行った。幸いなことに(いや、ちょっと残念)美久は仕事が忙しそうで、ぼくはお店に顔を出して挨拶しただけ。「引っ越しの準備があるから帰ります」と彼女に言うと「帰っちゃうの・・・」と下を向いてボソッと言うので「土曜日には来るから」と言ったらうれしそうだった。土曜日は家具と家電、送っておいた荷物が来て、美久が手伝ってくれた。


 分別ゴミの日の曜日などを説明してくれた。さっさと開梱して運送屋さんにダンボールを引き取ってもらった。「もたもたしていると、ダンボールをおいておかれるから、目の前で開梱して、組み立ては後、引き取ってもらうの」と美久が言う。手際いいなあ。


「明日はお店は手伝わなくていいから、わたし、来ます」と美久が地獄のラッパのようなことを宣言する。そうでしょうとも。カエデも来るんだよ、美久ちゃん。どちらかが来ない方法を考えたが、何も思いつかない。どうしよう。
「美久、明日は妹のカエデも来るんだ。ほとんど持ってきたから、服とか身の回りのものをスーツケースで持ってくるだけ。あまり荷物はないよ」と婉曲に言うが「来ます!わたし、来ます!妹さんにもお会いしたいです!ご挨拶させて下さい」と言う。まさか、将来の妻です、とか言わないよね?ぼくは美久をカエデに会わせたくない。
「わ、わかった。わかりました。え~と、カエデには、美久は不動産屋さんの娘さんで、若い頃の後藤久美子みたいな美人で、大学の一年生で、身長は160センチくらいで、という說明をしました。でも、ヤンキーの話や元総長の話やその他していません」
「え?若い頃のゴクミ?タケシさん、楓さんにそんな説明してくれたんですか?うれしい。わたし、本当にゴクミに似てる?タケシさん、そう思ってくれたの?し、幸せです」いや、あの、ゴクミに反応してほしくないんだけど。
「はい、そう思っています。ゴクミ似です。って、あのそうじゃなくって、ヤンキーの話とか元総長とか、乱闘したとか、あの、ぼくらのこととか説明してないってことで・・・」
「大丈夫です。わたしから説明させて下さい。勝手に一目惚れして、タケシさんの妻になりたいとタケシさんに告白した、と言います。ウソはいけない。楓さんにちゃんとご了解をいただかないと」


 月曜日から美久を見ていて、ちょっと不思議な人と思っていたが、実に不思議な人だ。元ヤンキーの元総長で今大学一年生の不動産屋の娘ってみんなこうなのか?それとも北千住ではこうなのか?処女で男性と付き合ったことがない女の子はみんな不思議な人になってしまうのか?


 美久の言葉にタジタジとなった。もう、覚悟を決めねば。どうにかなるかもしれない。ツンデレで大魔神の美女の妹が、踵落としができてヤンキーを瞬殺してしまい、すぐ顔をあかくして下を向いて、ヤンキー言葉と丁寧語が交互に出てくる美少女の美久さんとどう接するのか、なるようにしかなりません。


「わかった、美久、わかりました。明日、午前中に来るから。十時頃?連絡します」「お待ちしています。ここにいてもいいでしょ?ここで待っています」ああ、どうしよう?


 こうして土曜日は過ぎていった。


十一話 美久さん、告る


 日曜日、美久には今から出ますとLINEした。渋谷からメトロを乗り継いで北千住までカエデと行った。カエデは今年高校三年生で、来年は大学受験。「カエデちゃんはどの大学を受験するつもりなの?」と訊くと、「本郷はやめておく。先生は、学校推薦型選抜でお茶大の理学部なら確率が高い、って言うのよ」え?お茶大?「お茶大なの?」「そう中高一貫女子校で、さらに四年間女子大になってしまうけど、理学部だとお茶大がいいのかな?なんて思いました。お兄と同じ理学部だもん。レポートもお兄が手伝ってくれるだろうし、ね?」とぼくにウインクする。お茶大かぁ・・・。


 そんなことを話していると北千住に着いた。「え?もう着いたの?思っていたよりも早いわね」とカエデが感想を言う。持ち物はスーツケースひとつだけ。他はもう部屋にある。スーツケースをガラガラと引いていってアパートに向かった。「あら、想像通りの下町。お兄、雰囲気は思っていたより悪くないわね?」と言う。


 途中で、節子、紗栄子、佳子のヤンキー三人組とすれ違った。彼女たちは駅周辺にでもいつも住んでいるのか?まったく。今日は気を利かせて素知らぬ顔で行ってしまった。カエデが「ほぉら、お兄、ヤンキーいるじゃない?ああいう人たちとからんじゃダメよ」と言う。いや、あの、もうからんで知り合いなんだけど。おまけに部屋で待っているのはカエデの言うああいう人たちの元の元締めの女の子なんだけどね。やれやれ。


 アパートに着いた。ドアフォンを鳴らす。「え?お兄、誰かいるの?」とカエデが驚いて言うので、「ほら、不動産屋さんの田中美久さん」と言うと途端にカエデの顔が険しくなる。ドアを開けて美久が顔を出した。「お待ちしてましたあ。あ、スーツケース、洗濯機の横に入るかな?」と言ってスーツケースをさっとつかんで洗濯機の横に押し込んでしまった。美久はイメチェン後のフレンチカジュアル。可愛い。いや、そういう話ではないな、これは。


 美久はすぐにスリッパを揃えて「ハイ、どうぞ」と言う。お茶も沸かしてあった。美久がカエデにテーブルを指し示して「どうぞこちらに」とニコニコして言った。カエデがテーブルに座る。黙っている。美久が「不動産屋の田中です。お茶をどうぞ」と言ってカエデの前にお茶をおいた。カエデの正面に美久が座る。ぼくはちょっと迷って、美久の隣に座った。カエデが(お兄、普通そっちに座る?)という顔でぼくの顔を睨んだ。


 カエデが「田中“美久”さん、私、兵藤楓と申します。この度は兄がいろいろお世話になりました。ありがとうございます」とお辞儀して挨拶した。“美久”さんとわざわざ強調しなくても・・・


「いえいえ、当店のお客様ですもの。当然のことをしただけです」と美久が言う。「そうですか。日曜日なのに大変ですね。不動産屋さんは、休日も契約した後の店子さんのお世話もみるんですね。サービスがいいですね、田中さんのお店は」とロボットのようにカエデは言った。


 美久がモジモジしてちょっと下を向いていたが、キッと顔を上げてカエデを見た。「楓さん、不動産屋の仕事ではなく、個人的にタケシさんのお手伝いをしたいと思ってまいりました。わ、私は、まだ、タケシさんにお会いしたばかりですが、タケシさんに好意をもっております」と言ってしまった。


 カエデがぼくを睨んで、「お兄様、これはどういうことでしょうか?美久さんとは今週お会いしたばかり。美久さんが言われるのがお兄様に『好意を持っている』とのこと。どういうことでしょうか?」おいおい、「お兄」が「お兄様」になってしまったよ。ぼくは頭が痛くなってきた。


 ぼくが話しだそうとすると美久がぼくの太ももに手をおいて制止した。「はい、楓さん、たった一週間です。それはどう言っていいのか。私は、すみません、タケシさんに勝手に一目惚れしてしまいました。そして、タケシさんを巻き込んでしまって、ヤンキーと乱闘しました」カエデがぼくの額を見る。それか?という顔でぼくを睨みつける。


 構わず美久がカエデに「それで、わたしはタケシさんにプ、プロポーズしてしまいました。タケシさんに『妻にしてください』と言ってしまいました」


「なんて突拍子もない話を・・・」とカエデが言う。
「はい、突拍子もありません。ごめんなさい。楓さん、実は、私はヤンキーグループの総長をやっていました。今は辞めています。今は、普通の大学生です。タケシさんにこれからまず友達からお付き合いしましょうと言われました。私はタケシさんにふさわしい女性になり・・・」
「お兄様!こういうお話を隠していらっしゃったんですね?引っ越しもすまないのに、もう、こういう話になって・・・私は北千住の土地柄をとやかく言う気はありません。ヤンキーについてもとやかく言いません。しかし、美久さん、お兄様とは生きてきた環境が違うじゃありませんか?これは差別ではなく、区別です。これはお兄様だけの個人の話ではなく、家庭の話です。お兄様、パパとママに説明して釈明なさってください」とまたまた立板に水だった。


 しかし、美久はひるまない。「楓さん、しかし、私は・・・」というので、ぼくは美久が言うのを止めて「カエデちゃん、何の運命のイタズラか、たった一週間でこうなったんだ。話さないでゴメン。美久が・・・」「美久ですって?彼女を呼び捨て?」「はい、美久がぼくにまず告白したのは事実だ。それでいろいろあった。カエデが貼ってくれた絆創膏の傷は、美久の後輩が拉致されて強姦されようとしたのをぼくと美久が止めた結果だ。美久が二人のヤンキーをのしたんだ。その後ろにもう二人近づいてきたので、ぼくがのした。頭突きだ。それで、美久が泣いて、いろいろあったが、ぼくと付き合いたい、いや、結婚したいということで、まず、友達からお付き合いしましょうと言ったんだ」


「お兄様、『友達からお付き合いしましょう』って、引越し前のお部屋にすでに美久さんがいて、スリッパを出して、お茶を出して、それはお友達のレベルですか?お兄様がどう思っておられようと、美久さんはお兄様を単なるお友達とは思っていないでしょう?それを容認しているお兄様も美久さんがただのお友達と思っておられないでしょう?でも、生きてきた環境が違いますよ?うまく行きますか?早速ヤンキーと喧嘩などして。美久さん、うまく行くと思いますか?」
「わかりません。でも、楓さん、私は努力したいと思います。私はタケシさんにふさわしい女性になりたいと思っています」


「いや、カエデ、あのね・・・」と言おうとした。そこで、カエデはいつものフェイントを出した。「美久さん、どちらの大学に進学されておられるのですか?」「カエデ、美久の大学とこの話と関係ないだろう?」「一応、お聞きしたいと思いまして・・・」こういう場合のカエデは意地が悪い。環境!なんて言うから、美久の大学のレベルで攻めようとしたのだろう。


 美久がおずおずと言う。「大学ですか・・・あの、その、お茶の水女子大学の理学部物理科です」「ハ、ハイ?お茶大の・・・理学部の・・・物理科?」カエデは唖然とした。「ごめんなさい、そうです」と美久が謝らなくていいのに謝った。


 あっけにとられたカエデに「あのね、カエデちゃん、電車の中で話していたキミが受験するというお茶大、美久も同じ学校推薦型選抜で合格して進学したんだ。だから、キミが受験して合格したら、美久はキミの先輩になるんだ」と説明した。カエデがのけぞった。


(くっそぉ、元ヤンなんだから、大学とかいっても短期か服飾とか、そういう大学いけよ。お茶大、この元ヤン、頭いいじゃないか?この野郎、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、お兄をとられる、この女にお兄をとられる、ああ、どうしよう?お兄をとられる、私のお兄をとられる!・・・あ!そうだ!)


「美久さん、お兄様は、私とお兄様がときどきキスの練習をしていることを、美久さんに言いましたか?」
「え?」と今度は美久がのけぞる。
「えって、キスの練習ですよ。兄と妹ですが、血はつながっていませんし、セックスするわけでもありません。私は、お兄様に私のいろいろな事情で・・・その、自分はLGBTじゃないか?と疑っていて、それで、お兄様にキスの練習台になってください、とお願いして、何度も何度も、私はお兄様とキスをいたしました、この一年間。美久さん、私とお兄様がこの一年間、何をしていたか知っていますか?知らないでしょう?お兄様があなたにそんなことを説明するわけがありませんものね」


(くっそぉ、このタケシさんの義理の妹のお嬢様は、わたしのタケシさんを・・・このお嬢ちゃん、つええじゃないか?かなり頭いいじゃん?この野郎、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、タケシさんをとられる、この女にタケシさんをとられる、ああ、どうしよう?タケシさんをとられる、私のタケシさんをとられる!・・・あ!そうだ!)


「わ、わかりました。楓さん、わたしはそういうことを知りませんでした。タケシさんもたった一週間の付き合いで、話せなかったと思います。でも、楓さん、でもですよ、あなたとタケシさんがそういう行為をしていたとして、それは一線を超えていませんよね?血はつながっていなくても、楓さん、あなたは妹、タケシさんはあなたのお兄様、そういう行為は慎まないといけませんよね?あなたのご両親はご存知なんですか?」今度はカエデがのけぞる。


(くっそぉ、この元ヤン、負けてたまるか!元ヤンのくせしてお嬢さん美少女なんてやりやがって!)
(くっそぉ、このお嬢ちゃん、負けてたまるか!高校生のくせに美人で背えたけえし!負けないぞ!)


 これって、アニメのブラック・ラグーンのレヴィが二人いて睨み合っている構図なのか?その時、ドアフォンが間抜けなピンポーンを奏でた。この面倒くさい時に、だれだ?いったい???


 ぼくはどちらさまでしょうか?と言った。「あら、タケシくん、分銅屋の女将ですよ」と素っ頓狂に明るい声がした。「引越し祝いに料理をね、持ってきたんですよ」と言う。ドアを開けると、女将さんだけではなく、ヤンキー三人組まで。ぼくはさらに頭が痛くなってきた。テーブルでは、美久とカエデが睨み合っている。


「あらあら、こちらがタケシくんの妹さん?私はタケシくんの近所の居酒屋の女将の吉川久美子っていいます」とカエデに向かって挨拶をする。「こっちはね、美久さんの妹分のヤンキーの節子と紗栄子と佳子」女将さん、女将さんだけならまだしも三人組を連れてこなくてもいいじゃないか?
「あ!さっき、すれ違った・・・」とカエデが言う。「あらあら、もうお知り合い?美久ちゃん、何で妹さんを睨んでいるの?」と美久に言う。「姐さん、別に睨んじゃいません」「睨んでいるじゃありませんか?あなたたち、バッカねえ。タケシくんの取りっ子でもしているの?」
「タケシくん、私が言ったでしょう?『お付き合いしたいのなら、隠し事なしで、みんなさらけ出したほうがあとが楽、オンナとオトコの間で最大の障害になるのは秘密と嘘、この二つ』って。今、その場面ね。でも、今、この睨み合っている二人、タケシくんがどっちを選ぶ、なんて考えなくていいからね。死ぬまでやることね」と不気味に女将さんが言う。


「お兄様、美久さんとお兄様の援軍が来たかもしれませんけど、生きている世界が違うのにかわりありませんでしょう?」と元の話題に戻すカエデ。
「カエデちゃん、女将さんはね、ぼくと同じく物理科で、院卒なんだよ」とぼくが言うと、「え?何?それはどういうこと?」とカエデは驚く。
「女将さんは、天体物理を目指したんだ。女将さんのお店の常連さんの自衛隊の南禅二佐、羽生二佐から聞いた。でも、それがどうだという話だ。今はお父さんのあとを継いで居酒屋の女将さんをやっているけどね」
「お兄、お兄、私、間違っているの?」とカエデが泣きそうになる。
「カエデちゃん、キミは間違っちゃいない。一見そう見えるし、そう感じるのが当たり前だ。だけど、美久や女将さんはカテゴリーに当てはまらない人たちなんだ。それに、まだ、キミは北千住に来て一時間も経っていない。人間は肩書や上辺だけじゃあない。ヤンキーの元総長だって女将さんの影響で物理学を目指してもいいだろう?だから、カエデ、ぼくと美久を許してくれ。ぼくは、今、このひとが好きなんだ」テーブルの下で美久がぼくの手をギュッと握った。


 カエデは俯いてしまった。ポタポタを涙が落ちた。「ひどいわ、ひどい。まだここに来てそんなに経っていない。それなのに、この部屋に来ると引っ越しも済んでいないのに、もう奥さんみたいに美久さんがいて、お茶を出して、スーツケースをしまっちゃって。それで、私のお兄に月曜日に一目惚れして、火曜日にプロポーズしたって、急に言われて。家族で家にいればいいじゃないと止めたのに引っ越してきて、もう地元の人間と喧嘩をして、私に内緒にして、パパもママも出張でいないのに家に私一人残して遅くまでお酒を飲んで、ほっておかれて。お兄は、テーブルの美久さんの側に当然みたいに座って、『今、このひとが好きなんだ』なんて言われて。せっかく、ママが再婚して、兄ができたと思ったのに、美久さんに横取りされて。おまけに、おまけに・・・」


「私だってお兄が好きなのよ!美久さん、親の再婚でできた義理の兄妹って結婚できないわけじゃないでしょ?私、調べたのよ、法律を。ただ、それでも兄妹だから、言い出さなくって我慢していたのに、美久さんがさっと出てきて、横取りしていくみたいじゃない?一年前から気づいていた。私がLGBTなんかじゃなく、普通に男の人を好きになれることを。でも、それがどこかの男の子じゃなくて、私の兄だったのよ。く、悔しい、悔しいわ」


 女将さんがウンウンうなずいている。ああ、この人なにか言うぞ。言うに決まっている。「楓さん、部外者の私が口出しするのを許してね。まず、民法上、親の再婚でできた義理の兄と妹は結婚できます。それがたとえ楓さんの義理のお父さん、つまり戸主が、楓さんを養子縁組して養女としたとしても、血縁関係にはありませんから、法律的にも医学的にも、タケシさんと楓さんが結婚するのになんら問題はありません。そう、だからね・・・」と法学の教授みたいな口調で女将さんが言う。


「だから、楓さんも美久ちゃんと同じに宣言しちゃえばいいのよ。『お兄さん、私はお兄さんが好きです。結婚して下さい』って言ってしまえばいいの。それで、美久ちゃんよりも楓さんの方が彼にふさわしい、とタケシさんに証明すればいいことよ。ただ、泣いて悔しがっていたって、埒が明くわけもなし。楓さん、美久ちゃんとタイマン勝負して勝てばいいだけの話。さ、楓さん、美久に宣戦布告なさい」カエデと美久があっけにとられて聞いている。女将さん、なんてことを言い出すんだ。


 女将さぁ~ん、勘弁して下さい!ぼくは思った。節子は驚いている。紗栄子はちょっと面白がっている。佳子は口をあんぐり開けている。だって、ぼくに『ちょっと、危ない雰囲気?』などと言ったからだ。


 委細構わず女将さんが、「節子、紗栄子、佳子、持ってきたつまみと酒を出しな。この前は、美久のオヤジさんが酒を飲むのを許したが、今日は私が許す。固めの杯じゃない、宣戦布告の誓いの盃でもかわそうじゃないか?」ぼくは思った。カエデの言う「生きている世界が違う」はある部分正しい。ぼくの生きてきた環境では、大人がこういう介入と解決をしない。極めて北千住的である。元天体物理学者の下町の居酒屋の女将さんというのは、みんなこういう人なんだろうか?


 三人組が持ってきた岡持ちから分銅屋のブリカマとか天ぷらとか、お惣菜をテーブルに並べていった。お赤飯もあった。七人分のお椀とお箸と、ぐい呑。そして、諏訪泉の三本絞りにされた一升瓶、三升。睨み合っている美久とカエデに女将さんがぐい呑を渡す。ぼくにも渡された。「ほら、飲みな、若造共、一気に干すんだ」女将さんってこういうキャラだったのか?「おい、三人組、おまえらも飲むんだ」と三人組に酒をついで干させた。


 カエデがぐい呑を美久に突き出して言った。「わかったわ。美久さん、あなたに宣戦布告します。元ヤンキーなんかに負けません。私が勝ちます」と言う。美久も「楓さん、お嬢様に私は負けません。私が勝ちます」と言う。「お兄、酒瓶下さい」とカエデが言う。一升瓶を渡すとカエデは美久のぐい呑についだ。美久も一升瓶を持ってカエデのぐい呑に酒をつぐ。こいつら、サシで飲み始めたよ。


 ぼくは三人組にも酒をついで回った。まあ、三人組は勝手に床に座ってやっているが。三人組、立膝でパンツ見えているんですけど。


 仕方なく、ボクは女将さんと。「女将さん、収拾ついてないんですが・・・」と言うと、「そうだよねえ、二兎を追うもの一兎も得ず、タケシさん、サイコロかトランプで、今、決めちゃえば?美久か楓か、どっちかを?」「女将さん、そんな無責任な・・・」


 カエデも美久もだんだん飽きてきたのか、話がそれた。「美久さん、そちらの方たちが拉致されたんですか?」「そうそう、この節子と紗栄子が拉致られて、佳子が逃げて知らせてくれたんです。節子、こっちに来いよ」美久さん、口調が。


 ぐい呑に酒を注がれて節子が飲む。「楓さんとわたしたち同じ学年なんです。楓さん、背、高いっすね。本当に水川あさみの若い頃みたいだ」
「え?水川あさみって?」
「兵藤さんが楓さんは水川あさみに似ているって言ってまして・・・」
「お兄、そんなこと言ったの?」
「だってカエデ、似てるじゃないか?」
「ふ~ん、そうね、美久さんも確かに後藤久美子に似てるわね。美少女がヤンキーの元総長って面白いわよね。悔しいけれど、ちょっと負けているかもしれない」
「ゴクミ似ですか?」と節子。
「そう、お兄が美久さんのことをそう説明したの」
「なるほど。確かに似てるっすね。兵藤さん、美人二人に迫られて幸せっすね」
「節子、バカなことを言うなよ」
「私も彼氏最近いないからまた作るかなあ?」
「節子さん、私なんか彼氏なんて今までいたことがないの。彼氏いない歴、イコール年齢なの」とカエデが言う。
「わたしだって彼氏なんていままでいません」と美久がカエデに言った。
「ネエさんが男っ気がないのは知ってますが、楓さんもそうなんすか?」
「ハイ」とカエデ。
「じゃあ、二人共処女だ。そりゃあ、面倒くさいことになるわな」
「なんですって?」とカエデと美久が声を揃えて節子に言った。
「経験がないから、手探りで舞い上がっちまうんですよ。さっさとやっちまえば・・・」と節子が言うと美久が「節子!この野郎!バカタレが!」とボカリと節子の頭をぶん殴る。
「痛ってえなあ。こういう兵藤さん絡みの話になるとネエさん、すぐ人の頭をぶん殴るんだから・・・ねえ、兵藤さんだって処女なんて面倒くさいっすよね?」


 ぼくも酔ってきた。「節子ちゃん、ぼくだって、経験ないよ」と言うと「え?兵藤さんも童貞さんなんすか?」「うん」「面倒くさいトリオだねえ」
「見てて面白いわよね」と女将さんが言う。「なにが面白いですか!」とぼくとカエデと美久が同時に言った。「まあまあ、ゆっくり決着をつけることよね」


 一升瓶が二本空いて、最後の一本を女将さんが開けて、ぼくとカエデと美久につぐ。さすがに酔ってきた。酒に強い美久とカエデも眼がトロンとしている。ダメだ。昼酒は効く。


「お兄、ロフトってどこにあるの?」と急にカエデが聞いた。「ああ、これ、この梯子を登ったとこ」「私、見てみたい」「いいよ、登れるか?」
 危ない足取りで登りだした。「危ないわ、楓さん」と美久がカエデのお尻を支える。二人してロフトに登ってしまった。やれやれ。降りてこない。
 女将さんが「節子、紗栄子、佳子、退散しよう。この三人、ほっておこう。片付け、片付け」と岡持ちにお皿なんかを片付けだした。「タケシくん、酒とぐい呑はおいておくからね。料理の残りもここに置いとくからね」とキッチンに残りの料理をおいた。「じゃあ、お邪魔しました。よろしくやってね」「女将さん、逃げるんですか?」「ええ、面倒くさいもん」と三人組を引き連れて行ってしまった。それでも二人はロフトから降りてこない。


 はしごを登ってのぞいてみると、ぼくのマットレスに横になって二人共寝てしまっている。まったく、なんてヤツラだ。ぼくもなんだか眠くなってしまって・・・


 ・・・あれ?何時かな?ここはどこかな?・・・大の字で寝ている(ようだ)両手が重いよね?何がぼくの両手に乗っかっているのか?ボクは左を見た。ぼくの眼前にカエデちゃんの顔が。ぼくは右を見た。ぼくの眼前に美久の顔が。ぼくはそぉっと彼女たちの首の下に組み敷かれている両腕を抜こうとジタバタした。二人共酒臭い。そういうぼくもそうだろうな。やれやれ。


 カエデが抱きついてきた。美久も抱きついてくる。二人共寝てるのに同じ動作をするなんて、なんなのだ。二人に密着されて、ボクは気が狂いそうだった。


「カエデちゃん、美久、起きろ、起きるんだ」と言うとカエデがムニャムニャ言ってさらにしがみつく。美久もしがみつく。カエデが「なんか、幸せな感じ」と半分寝たまま言った。「私も幸せ」と美久も言う。カエデが眼をぱっちり開けた。「お兄、好き」と言って頬にキスしてくる。美久も「タケシさん、好きです」と言って頬にキスされた。二人共まだ酔っている。


 ぼくは、引っ越しって大変なので、しばらく引っ越しはなしにしようと思った。やれやれ。


十二話 楓ちゃん、認める、そして順子


「二人共、引っ越しも終わっていないし、起きようよ」と言うと「タケシさん、もう少しこうしていたい」と美久が言う。カエデも「お兄、美久さんに賛成。なにか、兄と姉妹でくつろいでいる感じがする」と言う。


「美久、カエデ、あのね、美人二人にはさまれて、横になっているというのは幸せみたいに見えるけど、二人に密着されて、ぼくはだね、男性としてしごく当然ながらマズイ気分になっているんですよ。『兄と姉妹』じゃなくて、『男の子と女の子二人』だよ」


「え?お兄、そういう気分なの?」「タケシさん、そうなの?」「女の子と違って、男はそうなってしまうの」


 美久とカエデがぼくの上半身にしがみついていた手を下の方に移した。二人が同時に「あ!本当だ!」と言う。「お兄、お聞きしますけど、この反応は私への反応なの?美久さんへの反応なの?」「それは反応している物体に聞いて欲しい。自動的にこうなるし、どっちなんて考えられない。ダメだ。ガマンできなくなる。ぼくは下に行きます」と強引に二人を振りほどいて、梯子をおりた。「あ!逃げた!」「楓さん、逃げられたわ」


 ぼくは狭い六畳間のキッチンに行って水を飲んだ。ふ~、危ないところだった。二人もロフトからおりてきた。「やれやれ、昼酒を飲んじゃったし、今日はダメだ、これは。酔を冷ましたら、神泉に帰ろう」とぼくが言うと「え?タケシさん、実家に帰っちゃうんですか?」と悲しそうに言う。「うん、父と母が出張中だろう?今週の水曜日に二人共帰ってくるんだけど、それまでは物騒だから、ここと実家と行ったり来たりして、夜は水曜日までは実家に泊まろうと思う」「タケシさん、それは・・・今晩と月曜日、火曜日、水曜日、四日間、タケシさんは楓さんと家に二人っきりってこと?」(確かにそう言えばそうだ)


 カエデがぼくの後ろから美久にアッカンベーをして盛大に舌をだした。「あれ?でも、お兄、行ったり来たりって、昼間はこっちなの?美久さんといるの?木曜日からはずっとこっちなの?」と言う。今度は美久がカエデにアッカンベーをした。うう、頭が痛くなってきた。


「二人共、しばらく、ぼくは二人に触れません、さわりません、何もしません。話がややこしくなる」「『しばらく』っていつまで?」と二人同時に聞いてくる。
「当分です。気持ちの整理がつくまで、当分、何もしません」とぼくが言うと「手ぐらいつないでもいいでしょ?」と美久が訊く。「まあ、手ぐらいならいいでしょう」「お兄、ちょっと、チュってしてもいいでしょ?」「それはダメです!」


「ところで、美久さん」とカエデが美久を見ていった。「はい」「お兄とキスしたのね?」とかまをかけた。美久はもじもじして下を向いた。「ハイ、火曜日に。私の初めてのキスです」「やられてしまったのかぁ。私のアドバンテージもなくなったか。あーあ、どうも負けている気がするなあ」


「お兄、今日、美久さんにお会いしてわかった。この人は私と正反対。ヤンキーの元総長なんて、不良でガサツだと思ってましたが、繊細で優しくって、面倒見が良さそう。純情一途みたいで、恥ずかしがり屋ですぐ照れちゃうし。でも、テキパキしていて、女として負けてるって気がする。でも、二才年上なんだし、まだ挽回できます。十二ラウンドの最初のラウンドを五対四で落としちゃったかな」


「美久さん、さっき、私のことを『お嬢様』って呼んだけど、私はお嬢様じゃありません。母子家庭で、幸いママがCAの管理職をしていますから、収入は良くて、私立の中高一貫の女子校に行かせてもらっていますが、お嬢様じゃないと自分では思っています。それが突然、ママが再婚します!と宣言して驚いちゃった。パパができて、お兄ができて。美久さんはさっき一目惚れなんて言ったけど、私だって一目惚れしたの」


「カエデちゃん、そんな素振りはしてなかったじゃないか?」


「お兄ね、女の子は嘘がうまいの。演技できるのよ。美久さんは違うみたいだけどね。私はそれまで男性に嫌悪感しか感じなくて、LGBTなのかしら?と思っていました。それがお兄には好意しか感じなくって。それで、今日よ。今日、何か怪しいと思っていたら、美久さん、あなたが現れた。それも、私が持っていたヤンキーのイメージと全然違う。ごめんなさい、不良のヤンキーのカテゴリーを勝手に設定していました。私がもしも、男の子でも、美久さんのような人は好きになるわ。今日は、なんていうのかしらね、新しいお姉さま兼恋敵ができちゃった、そんな感じかな?」


 美久は、もう涙目になっていて「楓さん、ありがとう。ありがとうございます」と言ってカエデに近寄って抱きしめた。カエデも美久の体に手を回した。「でも、美久さん、私は負けませんよ」と言った。美久は「それでもいい」とうなずいた。


「でも、美久さんいい匂い。お姉さんがいるとこういう匂いがするんだ」カエデは美久よりも10センチぐらい背が高いので美久の髪の毛をフンフンする。「楓さん、はずかしい。でも、楓さんもいい匂い。妹って、こんななのかしら?節子と紗栄子と佳子とは違うわ」「う~ん、私レズっ気があるのね。お兄は止めて美久さんに乗り換えようかしら?」「楓さん、それは困ります」「冗談ですよ、美久さん。せっかくLGBTじゃなさそうなんだから、あくまでお兄を狙うわ」


(また、そっちの話になるんだ、やれやれ)


「あ!そうだ!いいことを思いついた!」とカエデが言う。「なんですか?」と美久が訊く。「あの、節子さんと紗栄子さんと佳子さんが拉致されて強姦されかかったって言ってたでしょう?」「ハイ、北千住は物騒なんです。ゴメンナサイ」「まあ、美久さんとお兄でのしちゃったんだからね。すごいよね?」「あれはたまたま運が良かっただけです」「そうそう、危ないわよね。それで、美久さんアイフォンでしょう?私もお兄もアイフォンだから、三人のアイフォンに同じ位置情報共有と携帯電話追跡アプリをインストールしておくのよ。そうすれば、危ない場面でも場所がわかるじゃない?おまけに、抜け駆けもできない!エッヘン!名案でしょう?節子さんと紗栄子さんと佳子さんのスマホにもインストールしちゃいましょうよ?それで、六人がみんな居場所がわかるから、拉致されても追跡できるじゃない?」


「うん、確かにそれはいいアイデアかもしれない。特に、節子と紗栄子と佳子は半グレに目をつけられているようだし、みんなで位置情報を共有すれば助けに行けるね。美久、どう思う?」「はい、私はかまいません。その方が安全でしょうし。でも、楓さん、わたし、抜け駆けはしませんよ」「わかってます。美久さんはそういうひとじゃありません。じゃあ、早速、インストールしちゃお。美久さんは、節子さんと紗栄子さんと佳子さんにインストールしてあげて、設定してあげて。わたしが今やってみせるから」とカエデは美久とぼくのアイフォンを取り上げて、アプリをインストールし始めた。


第二章 順子


 後藤順子が少し離れたマットレスでひと仕事終わった小川康夫を呼び寄せる。痩せ身のイケメンだ。康夫の横ではもう一人のヤンキーのガタイの大きな浩二が女の子を組み敷いて腰を振っている。もう一人の女の子が力なく横たわっていた。場所は北千住の放置された廃工場だ。


「康夫、こっち来な」順子の制服ははだけている。「なんだい、姐さん、あんたもヤル気になっちまったのか?」と康夫は素っ裸のまま順子の座っているマットレスの隣に腰を下ろした。


「おまえらがやるのを見ていればその気になるわな。ほら、これ食いな」とグミの袋を康夫に渡す。「姐さん、これ商売物だろ?」「二つくらい食えばあんたも元気になるだろ?少しだったら大丈夫だよ」「しかし、姐さんも頭が回るね?ポンプ(注射器の隠語)じゃ体に跡が残るし相手も気づくから、S(スピード、覚醒剤)をグミにポンプで仕込むとわなあ」「ふん、真面目なお嬢ちゃんにグミやって、そのあと栄養剤って騙して中毒にさせりゃあ、あとは売り(売春)やらせて私に金が入ってくるからね。おい、康夫、あんた、あの子らとやった時にゴムつけたろうね?最近の子は真面目に見えて病気持ちが多いからね。私は梅毒なんてうつされるのはゴメンだよ。康夫、私にはナマな」


「ああ、姐さん、さすがに二人も立て続けはキツイよ」「何いってんだい、馬並みに腰ふってたくせに」順子は自分でもグミを口に放り込む。「あのバカな沢尻エリカも言ってたよな?Sやってキメセク(薬物セックス)するのは最高だって」


「悪い女だよ、順子姐さんは」「私は生真面目な田中美久と違うんだよ。金が大事だよ。おい、康夫、まだおまえダメじゃないか?」「二人相手に二回ずつ出せば俺だってすぐには元に戻らないぜ」「しょうがないなあ。私が口でやってやるよ」「姐さんのおしゃぶりは効くからなあ」


 順子と康夫はこ汚いマットレスの上で絡み合った。向こうのマットレスでは、浩二が一人終わって、康夫がやっていた女の子に取りかかっていた。でかいガタイが女の子におおいかぶさった。


 このグループは、順子と彼女の手下の女三人組が素人の女の子にS入りのグミを食わせては中毒にさせ、康夫のグループに輪姦させて、最後は売りをさせて上納金を集めている。田中美久が総長をやっていた時代とは違っているのだ。


 美久の後釜の新しい総長が順子だった。グループの体質が変わってしまって、美久と節子、紗栄子、佳子の三人組は彼らと距離をおいていた。


「康夫、そこ、そこかき回して」「姐さん、そんなに締めたらいっちまうよ」「おお、康夫、きてるぜ、きてる、きてる」と順子が腰をつかった。「・・・そういやあ、美久と金魚の糞の三人組、真面目になっちまったな?」「ああ、なんかキレイキレイにしてるぜ」「あいつら、輪姦しちまうか?」と順子が不気味なことを言った。


「姐さん、しばらくはダメだろ。この前の火曜にウチの下っ端が節子と紗栄子と佳子を拉致って輪姦そうとしてマッポに捕まったばかりだ」
「なんか、美久にのされたって?」
「ああ、美久と連れの彼氏みたいなのにのされてマッポにわたされちまってよ」
「美久は空手だからな。腕っぷしはいいからな。美久には手を出さないようにしよう。節子か紗栄子か佳子をS打ってヘロヘロにさせて、鈍牛の浩二に犯させるか。弱い肉にかぶりつかなきゃな。まあ、ほとぼりが冷めたらジワジワと・・・」ニタっと順子が笑う。