フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

雨の日の美術館、第1、2話(Novel Days版)

第1話 2017年11月17日(金)

2017年11月12日(日)、上野の森美術館「怖い絵」展

 俺は失敗したと思った。雨の日曜日にも関わらず入館を待つ長蛇の列。来てしまったので仕方なく最後尾へ並んだ。俺の前に突っ立っている女性二人組がスマホを見ながら「待ち時間は1時間だってさ。入館した人がブログにアップしてるよ。この前の天気のいい日曜日は3時間待ちだったんだって」などと言っている。1時間!「テレビ、SNSなどでも話題で大人気なんだって」なのだそうだ。失敗した!


 作家・ドイツ文学者の中野京子さんのベストセラー『怖い絵』の刊行10周年を記念した企画展だというのを新聞で見て、マイナーな絵画ばかりだから当然空いているだろう、と思ってきたのだ。錦糸町の自宅マンションから秋葉原駅、上野駅。日曜日だから15分で着いてしまう。上野駅から『怖い絵』展のサインボードが経路に設置してあった。それで、行列を横目にチケットを買ってしまった。


 俺の前の女性二人組が横向きで話していて、時々俺の方をチラッと見る。なんなんだよ?俺の格好が変なのか?普通に紺のジャケットにクリーム色のチノパン、ボタンダウンのシャツ。丸眼鏡のサングラスがおかしいんだろうか?それともいい年をしたおっさん(でも、32才だぜ?まだ若いと思っている)が雨の日曜日に一人で展覧会を観に来るのがおかしいんだろうか?二人組は20才代だろうか?似たようなチェックのブラウスにフレアのミニスカートを着ていた。


 1時間、ほぼ瞑想状態。こういう時の時間の進みは遅い。列の人数をボォ~っと数えて、だいたいあと40分くらい?・・・20分・・・と、やっと入館できた。入り口あたりで、吉田羊の音声ガイドをレンタルしていた。今どき有線のヘッドフォン、これを頭につけろとでも言うつもりか。いやなこった。俺の前の二人組は音声ガイドプログラムと書かれたA4の紙一枚を手にとってヘッドフォンをレンタルした。


 洋服店にあるようなステンレスのハンガーラックにぶら下がっている十数個のヘッドフォンを俺が睨んでいると、俺の後ろの人がぶつかってきた。振り返ると髪の長い女の子がいて「スミマセン、ぶつかっちゃって。あのぉ~、ヘッドフォンをレンタルなされないんですか?」と聞いてきた。「ああ、こっちこそスミマセン。立ち止まってしまって。俺は借りませんので、どうぞお先に」と促した。彼女は音声ガイドプログラムの紙一枚を取ると「吉田羊のガイド?う~ん、要らないかな?」と言ってスタスタと絵画の展示場に歩み去った。俺も同意見。音声ガイドなんて要らない。


 展示場はごったがえしていた。テレビ、SNSで宣伝したからか、美術・芸術鑑賞に不慣れな人間が多く来ているようだ。それで音声ガイドを利用するものだから、人の列がいちいちつっかえる、こんなものいらんじゃないか?絵画だけをみりゃあいいんだし、ネットで展示している絵画の下勉強でもして来いってんだよ。


 絵画は章別に分かれていた。第4章「(現実の)切り裂きジャックの寝室」とか、第6章「(歴史の)レディ・ジェーン・グレイの処刑」だとか。しかし、コレクションとしては比較的地味な展覧会だ。なぜ、こんなに人が集まるんだ?


「レディ・ジェーン・グレイの処刑」はなかなか良い。18世紀の絵だ。16世紀、イングランド史上初の女王となったジェーン・グレイがメアリー1世によって廃位させられて処刑された。だけど、処刑された時の彼女の年齢は16才だった(と思った)。16才にしてはやけに大人っぽい。処刑から200年くらい経っているんで、史実なんか関係なく、モデルでも使ったんだろうか?作者はポール・ドラローシュ?ふ~ん?


 この展覧会の目玉なのか人垣ができていて絵が見にくい。2.5✕3.0メートルほどの絵なんだが、近づいてマチエール(絵具の材質、絵肌表面の調子)を確認することもできやしない。みんな吉田羊の解説に聞き入っていて動かない。仕方なく、絵から離れて人垣の後ろで鑑賞する。みんな俺より背が低いから見るのには不自由しない。絵を見ながらブツブツ独り言を言っていたようだ。


 隣に「吉田羊のガイド?う~ん、要らないかな?」とか言っていた女性が立っていた。俺の独り言を聞いていたようだ。彼女も背が高いので人垣の後ろから覗き見しているようだった。彼女は俺を見上げて(俺のほうが5センチほど目線が高いようだ)「あのぉ~、マチエールってなんですか?それと構図って?・・・スミマセン、あなたの独り言が耳に入ってしまって・・・」と聞いてきた。


 俺は彼女の左耳に顔を近づけて小声で「マチエールというのは、フランス語だけど、英語だとマテリアルのこと。絵具の材質や絵の表面の感じ、塗り方を言うんだ。ほら、ジェーンの首筋を見てご覧?薄くたぶんジンクホワイトで塗ってあるけど、顎の下の陰をうまく透明感を出して表現しているでしょう?18世紀の頃の絵画はマチエールが薄いんだ。それから、この絵の構図は、床に固定された小さな断頭台(これで断頭台?顎乗せもない)にジェーンが左手を差し出していて司祭のような男性が手を添えている」


 構図としては、この左手が画面中央だ。ジェーンと司祭の頭を結ぶ延長線上に首切り役人が赤いタイツをはいて待っている。確かに、断頭台は構図上この大きさじゃないとダメだな。実際にあったような大きさを描いたら構図が無茶苦茶になりそうだ。画面左手で壁に手をついて泣いていそうな侍女と宙を放心状態で見つめて座り込んでいる侍女がいる。断頭台の下に敷いてある藁はこんなもので断頭されて流れる血潮を吸い切れるのか?というほど少ない。


 処刑された時の彼女の年齢は16才だった、と思った。16才にしてはやけに大人っぽい。処刑から200年くらい経っているんで、史実なんか関係なく、モデルでも使ったんだろうね。艶っぽすぎるよ。自画像があるが、似てない。どうみても、16才の処女じゃない。この絵のモデルは二十才前半の非処女だ。で、この司祭の両手の大きさ、特に左手が右手よりも大きく描かれていて不自然だ。意図的に描いたんだろうね。


「司祭の顔の近づけ方もエロティックに表現されていて、首切り役人も禿げ頭を見ながら、これから首切りする女にこの司祭野郎は性的興味でも持っているのか?相手は在位9日間とは言え元女王だぜ?という表情をしているじゃないか?」と彼女に言った。


「夏目漱石がこの絵をロンドン留学の時に見て『倫敦塔』という短編を書いたそうだよ」
「よくご存知なんですね?」と隣の彼女が言う。
「いいや、ご存知じゃなかった。今朝、この展覧会を見に来ようと思って、展示される絵をチャッチャとウィキペディアで調べただけさ」と俺。
「でも、構図とかさっきの印象はウィキペディアには書いていないでしょう?あなたご自身のご感想でしょう?」
「まあ、そうだけどね」
「あのぉ、もしもですよ、あなたがお時間がお有りでしたら、第一章から改めて観てくださって、私にいろいろと教えていただけませんか?せっかく観に来たのに漫然と見てしまって、絵の背景とか理解しないで帰るのが悔しくって」とペコっとお辞儀をされた。あれ?結構可愛い、いや、美人なんだな、この子、と改めて彼女を見直す。


「まあ、いいでしょ。俺も雨の日曜日に一人で美術館をウロウロして独り身を満喫するよりも、旅の道連れが居たほうがいい。蘊蓄の独り言を言うよりも聞き手が居たほうが良い。じゃあ、また、最初の方に戻りますかね?」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」と小さな声で俺の右耳に口を近づけて言う。

雨の日の美術館、第2話(Novel Days版)

2017年11月12日(日)、上野アメ横

 科学博物館を出て左に曲がった。まずはガード下の大統領にでも行ってモツ焼きを食べよう、と尾崎はルートを考えた。素直に公園通りを行くのがいいだろう。


 美香が「尾崎さん、さっきはせっかく『フーコーの振り子』の説明をしていただいていたのにストップしてしまってスミマセン」と言う。「いや、別にいいんだよ、気にしなくても」


「あの、少し自分に当てはめて考えてしまったものですから」と美香が言う。
「フム、どう当てはめたの?説明して」
「私、振り子って力を与えられなければ停止してしまう、と思いこんでいたんです。ところが、尾崎さんが『最初、止まっていたとしても振り子は自然に揺れだします。そして、地球の自転に合わせて、揺れ方が変わってくる』と説明なさったじゃありませんか。もちろん、私の家にあるような紐の短い振り子では気づきませんが、『長い弦をもつ周期の長い振り子』って書いてありましたが、さっきのような装置なら振り子は地球の自転現象で振動面が変わってくる」


 私の振り子は小粒なので気づかなかったけど、地球の自転のように周囲の環境から影響を常に受けているんだなあって。それが、尾崎さんは『長い弦をもつ周期の長い振り子』のようで、私にいろいろなことを気づかせてくれる存在なのかな?と考えてしまって。でも、あれ?私は振り子だけど、尾崎さんは自転している地球で、尾崎さんの自転に私の振り子も揺れるのかな、とか。


「俺がフーコーの振り子でもあり、美香さんの振り子に影響する自転する物体でもある?ということ?面白いなあ。だったら、逆もある、ということかも」
「え?」
「ワック(女性自衛官)相手だといくら容貌が優れていても内面はゴリラだから恋愛対象として考えられないが、美香さんだと恋愛の対象に見てしまう、ということかな?」
「・・・尾崎さん・・・恥ずかしくって、でも、うれしいです・・・泣けちゃいます・・・」
「おっと、雨が強くなってきたじゃないか?」


 東京文化会館の横に来たら急に雨が少し強くなってきたようだ。二人共傘をさしているが、傘が邪魔して話もできない。


「美香さん、雨も降っているし、傘を二人で2つさして歩くのもなんだから、傘、一本でどうだろう?」と尾崎が言う。
「ええ!相合い傘ですか・・・男の方としたことありません。恥ずかしいけど、望むところです!人生で初めて!」
「いや、肩が濡れちゃうだろうが話が近くていいかなと・・・」


「じゃ、じゃあ、腕を組むわけですよね?」
「そうですが?」
「いやいや、初体験なものですから・・・こうかしら?・・・慣れないものですから・・・」と尾崎さんの左手に腕を入れて手をつないで、私の右手を彼の左手の肘に添えた。高校の同級生の女子とこうしたような気がする。