フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

豚肉食の禁忌の歴史

「不浄の動物」で嫌悪感

英国に住んでいた時のことだ。あるイスラム教徒の友人が、イギリス人に「あんなに美味しい豚肉を食べないなんて、あなたは人生で随分損をしているよね」と言い放たれたと言うのを聞いた。イギリス人も豚が好物という人は多い。私も同感だが、敬虔なイスラム教徒にこんなことを言ってはちょっと失礼かもしれない。


そのイスラム信徒の友人は、厳格には戒律を守らない世俗派。だが、豚肉に関してはなんとなく食べる気がしないのだという。というのも、イスラム教徒は、豚は「不浄の動物」と言い聞かされて育っているためだ。中東などでは、 豚の飼育環境が必ずしも衛生的とは言えず、非イスラム教徒のキリスト教徒などでも、ある種の嫌悪感を抱く人は多い

豚肉食禁止の科学的根拠は

豚がなぜ、イスラム教では毛嫌いされなければならないのか。イスラム信徒にとっては、豚は汚らわしい動物に他ならない。その肉を食べることはとんでもない蛮行に相当する。筆者は世界各地で暮らす多くのイスラム教徒に豚について聞いてきた。「汚い動物であり、絶対に食べない」という答えがほぼ異口同音に返ってきた。


豚に対する汚名は大きな誤解であり、科学的な根拠を欠く判断とは言えまいか。筆者が育った相模、現在の神奈川の県央部は歴史的に養豚業が盛んだ。豚のえさとなるサツマイモが多く収穫されたこととも関係がある。そこで知り合った養豚業者によると、豚は本来、清潔好きな動物だという。「汚い」というイメージは、人間が汚い環境で飼育していることに問題がある場合が多い。


そもそもイスラム教徒に豚が不浄な動物と名指しされる根拠は、どこに存在するのだろうか。聖典コーランの2章173節には、食べることを禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外の名で供えられたものとの記述がある。コーランが「神の言葉」として絶対的な原則であるイスラム教徒にとって、宗教的に禁じられている豚肉食に疑問を差し挟む理由は全く存在しない。コーランに書かれていることで、食べないことの十分な理由付けになる。汚らわしいという心理的な理由は、異教徒に説明する際の後付けにすぎない。


では、豚食を禁じる宗教的判断の背景に、科学的な根拠はあるのだろうか。豚は穀物を食べる動物である。イスラム教徒が食べてもいいとされる牛や羊、ヤギは草を食べて育つ。砂漠という厳しい環境下で生まれたイスラム教において、人間と食べ物が競合する豚を増やさないという発想は利にかなっているとの説も唱えられたが、草や木の芽を羊やヤギが食べ、中東の砂漠化に拍車がかかった面もある。


火を十分に通さないと衛生的に問題が生じる豚肉を禁じたのも、イスラム教が形成された当時の生活環境に配慮したものかもしれない。ただ、イスラム教は豚肉食文化圏であるアジア地域にも拡大しているうえ、衛生状態が格段に向上した現代において、豚食を禁じる理由はあまりない。

特定の食材がタブーとされる理由としては、大別して、

 1.宗教上、文化上、法律上食べることが禁止されている

 2.心理的な背徳感から食べることができない

 3.食材と考えられていないから食べない

の3種が挙げられる。


食のタブーが法律によって強制力を持つ例もある。これは異なる食文化への迫害や、人権蹂躙であると主張される可能性がある。たとえば香港では中華人民共和国に主権が返還されたが、イギリス植民地時代に定められた犬肉・猫肉の供給を禁じる法令が撤回されないままになっており、同じ文化圏に属する広東省の食文化との食い違いが見られる


特定の食材が心理的な背徳感を喚起するため、食用とすることができない。役畜(ウシやウマなど)、ペット動物(イヌ、ネコ、ウサギ)、高い知能を持つと考えられている動物(クジラなどの哺乳類)、絶滅危惧種など、社会で高い価値が認められている動物や植物がこれにあたる。これらに対するタブーは立法化されることが多い。また、一般に食用と考えられている動物でも、ペットとして接することによって特定の個体が擬人化され、食材とみなすことができなくなる場合もある。社会価値の変遷により、何をタブーとするかは同じ社会においても急速に変化する可能性がある。また多くの文化は同族同類である人の肉を食することを道徳上・宗教上・衛生上の理由によりタブーとしてきた。


古代メソポタミアでは豚は卑しい物とされていたが、食べることは禁じられておらず、普通に食されていた。一方、馬、犬、蛇を食べることはタブーであった。

シュメル人は豚肉を食べたが、一般に羊肉の方が上等と考えられ、好まれたらしい。豚肉は女奴隷の食べ物と考えていたようで、次のようなことわざが残っている。


「脂身はおいしい。羊の脂身はおいしい。女奴隷にはなにを与えようかしら。彼女(=女奴隷)には豚のハム(あるいは臀(しり)の肉)を食べさせておけ。」

また、豚の飼育は女性の仕事であったようで、こうした例は羊や牛には見られない。

— 小林登志子著『シュメル―人類最古の文明』p70-71


古代エジプトでは、豚と牡山羊は不浄な物として、神殿に生贄として持ち込むことが禁じられていた。しかし庶民は気にせず食べており、養豚も行われていた。


ユダヤ教ではカシュルートにより豚肉の食用が禁じられているほか、イスラム教では豚は不浄なものであるとされ、食のタブー(ハラーム)として食用が禁じられている。

さて、ここからが本題。

4500年前の宴の食べ残しであるブタの研究から、意外なことが明らかになった。ストーンヘンジ周辺にある先史時代の祭祀場に、ブリテン島全域から人々が集まっていたのだ。


新石器時代後期(紀元前2800年~前2400年頃)には、ブリテン島南部のダーリントン・ウォールズ(ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたと考えられている場所)やマーデン(ブリテン島最大の環状遺跡)などの祭祀場で大規模な宴会が開かれていた。


ダーリントン・ウォールズの発掘調査では、冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたことが分かっている。発掘された8500点の骨を分析した結果、ブタとウシの割合は10:1だった。


この地域のほかの祭祀場遺跡からもブタの骨が大量に出土していることは、新石器時代後期のブリテン島南部で、ブタ宴会の習慣が広まっていたことを強く裏付けている。こうした宴の目的が、(コミュニティーのバーベキューパーティーのように)地元の人々の親睦を深めることにあったのか、あるいは、近隣との同盟関係を強化することにあったのかはまだ分かっていない。

映画に出てくるようなブタではない

ブタの骨のストロンチウムだけでなく、複数の同位体の分析が行われ、ブタが飼育されていた場所や餌について深い洞察が得られたことを賞賛する。


例えば、ダーリントン・ウォールズのブタは、ストロンチウム、酸素、硫黄の同位体分析結果から、さまざまな環境で育っていたことが明らかになった。しかしその一方で、炭素同位体の分析結果からは、餌は同じようなものだったことが分かった。これはダーリントン・ウォールズの宴の規模の大きさを反映しているとマジウィック氏は信じている。

地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたのだ。
帝政期イタリアにおける家畜生産とローマ市への供給(PDF)


地域で残飯を与えられた生きたブタを長距離輸送してローマに供給すると体重が減るので、体重減をどう補償するか、という話と、イタリアでは家庭および軍隊での食用に供するために大量の豚が解体されるが、そのほとんどがこの平野で「ドングリを餌として」飼育されたものなのである。


→ つまり、ローマ時代の豚は残飯や人糞を餌とした不浄な動物ではなく、森林で放牧された家畜だった!ということだ。


ストーンヘンジの時代(紀元前2800年~前2400年頃)、豚は500キロ以上も離れた場所から放牧されなが集められ、宴会に牛肉の十倍の量を供されていたこと、その豚は、残飯や人糞を餌とした家畜ではなく、森林で放牧された動物(まあ、家畜化されたイノシシだよね)だったことだ。


これはストーンヘンジの時代(紀元前2800年~前2400年頃)よりも1500年位後のローマでも変わらない。ローマ時代の豚もドングリを食べていた。


だから、不浄の動物という非難はあたらないようにも思える。


ただし、ガリアやローマの有るイタリアと違い、森林地帯がない中東では、豚はドングリを餌にするわけにもいかず、残飯や人糞を餌としたのかもしれない


肉の味の比較 - 紀元前/ローマ時代の豚肉、牛肉の味は?

現代日本人なら、好みはわかれるだろうが、おおむね牛肉はうまいと思っている。高度の畜産技術に支えられているからだ。食肉用の牛は、使役された牛ではなく、最初から食肉用に育成されている。


では、現代の新興国ではどうだろうか?


私の住んでいるスリランカでは、80年代でも21世紀の現代でも、スリランカ国産の牛肉など筋張って固く食えたものではない。ミンチ肉でハンバーグを作っても同様なのだ。


なぜなら、新興国の牛は田畑を耕す自然の耕運機としての重要な生き物、それを使役できるのに屠殺して食うなどとはコスパに合わないからだ。


だから、国産牛肉は、使役されて体力の衰えた老人牛になる。筋張って固いのは当たり前なのだ。


それに比べて、豚は、耕運機の代わりにならない。最初から食肉用として育てられる。だから、先進国並とまではいかないが、牛肉に比べて、新興国の豚肉は比較的うまい。筋張ってもいないし、固くもない。


これは古代でも同様だったであろう。

ましてや、ドングリを餌にした豚肉は、牛肉の数倍柔らかく美味だったはずだ。

そんな美味な豚肉をなぜ不浄の動物扱いして、ユダヤ教やイスラム教は食べることを禁忌としたのか?


むろん、森林のないドングリを餌にできない地域で、残飯や人糞を餌にしたから、不潔だ!と考えたのかもしれない。


しかし、これは誰も言っていないことだが、もしかすると、牛肉の十倍も豚肉を食べていた大ローマ帝国に対するユダヤ民族、中東民族の反感も左右したのではないか?ユダヤにとってもアラブのモスリムにとっても、ローマ帝国は宿敵だった。


その宿敵ローマ人がうまいうまいと、お世辞にも美しい動物じゃない豚を食っていたのだから、ああいう豚食いのローマ人と一緒にされたくない!豚を食うのは人間じゃない!宗教で禁忌にしてやろう!と思ったとしても妥当だろう。


当時、牛肉などよりはるかに柔らかく美味だった豚肉だが、民族的な反感と不潔な養豚環境のせいで、ユダヤ民族、アラブ民族は豚を食わなくなったのかもしれない。


西洋料理の源流①ローマ時代の豚肉料理

ローマ時代の晩餐会は現代と同じようにコース料理になっていました。その中で肉料理は、主に前菜やメイン料理として登場しました。豚肉はローマ人にとって身近な肉のひとつでした。現代では焼いたり炒めたりして食べることが多いと思いますが、ローマでは柔らかい肉が好まれたため、煮てから軽くローストするなどして食べられることが多かったようです。