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奴隷商人 Ⅴ、第32章 ●奴隷商人30、紀元前46年

奴隷商人 Ⅴ
第32章 ●奴隷商人30、紀元前46年

●アレキサンドリア市内

 アフロダイテ号とアルテミス号は、アレキサンドリア港に入港した。


 紀元前332年、アレクサンドロス3世によってナイルの大三角州を抱きかかえるような半島の真ん中にアレクサンドリアが建設された。アレクサンドロス3世の死後、彼の部下のプトレマイオス1世がエジプトを統治下に置いた。プトレマイオス朝である。

 プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都とした。この都市の周辺は平坦な土地ばかりで、船舶の沿岸航行や入港の際に陸の目印となるものが何もなかった。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建設を決定した。アレクサンドリアの大灯台である。

 アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島、ファロス島には、七不思議のひとつ、アレクサンドリアの大灯台がそびえ立っていた。大灯台は、海上140キロメートルからでも光が見えた。灯台の基礎は真四角であり、1辺は約100メートルだった。高さは、約130メートルだった。古代社会では、驚くべき建造物だったのだろう。


 例えば、横浜マリンタワーの高さは106メートル、通天閣が103メートル、神戸ポートタワーが108メートルで、それらが鉄骨製であることを考えると、大理石、漆喰、ローマコンクリートでできたアレクサンドリアの大灯台の建造が実に困難であったのがわかる。


 アレキサンドリアは城壁に囲まれ、城壁の大きさは東西4.5キロ、南北2.5キロほどだ。城壁外の人口を合わせて、100万人を超えている。大灯台の他に、世界各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、紀元前48年にシーザーの戦闘で火災にあい消失してしまったアレクサンドリア図書館などがある。ヘレニズム時代の地中海貿易と文化の中心地として栄えている。

 都市は碁盤の目に整然と整理されており、大通りの幅は30メートル以上あった。

 エジプトにもビールはある。21世紀の学校の教科書でも、ピラミッドの建設労働者への賃金の一部として、ビールとパンが支給されたと書いてある。だが、21世紀の麒麟やサッポロビールを想像してもらっちゃ困る。


 エジプト庶民の主食は、古代小麦で作った平たいパンと大麦から作ったビールだ。ビールといっても、自然酵母で発酵もどきになっている大麦パンを水に浸してさらに発酵させ、布で濾過したスープのようなものだ。


 アルコール分などほとんどない。見かけはゲロだ。オニオンスープに浸したフランスパンをグチャグチャにかき混ぜた感じを想像して欲しい。エジプト人の味噌汁みたいなものだ。酔いのために楽しみに飲むものと違うのだ。

奴隷商人 Ⅴ、第32章 ●奴隷商人30、紀元前46年 に続く。

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