フランク・ロイドのブログ

フランク・ロイドの徒然

ヒメと明彦 第2章、ヒメと明彦 Ⅷ

ヒメと明彦 第2章
ヒメと明彦 Ⅷ


 ゴールデンウィーク前の金曜日の午後4時だった。金曜日は学科が早く終わってしまう。二号館を回り込んで、部室やサークル室の固まっている棟屋の二階に行った。ニ号館、2513室で、部屋はまだ真新しい。部室のドアを開ける。誰もいなかった。


 何もすることがない。石膏デッサンもする気がない。私はメンソールのタバコをふかした。去年からタバコを吸うことを始めてしまったのだ。1976年だ。部室でタバコを吸って何が悪い?間接喫煙なんて言葉が存在しない時代だった。タバコを吸う女の子は男性にモテないってわけでもない。21世紀と違うのだ。


 豆を挽いてコーヒーを淹れる。パーコレーターを電気ヒーターの上に置いた。いい匂い。できたコーヒーをカップに注いでいた。ノックの音がして、男の子が部室に入ってきた。


「すみません。入部希望の者なんですが」と彼は言った。あの、去年、合格発表で手袋を落とした男の子だった。彼の顔をジッと見てしまった。彼は怪訝な顔をしたが、まさか、手袋を拾っただけの女なんて覚えていないだろう。


 私は一人ベンチシートに座っていた。ショートヘアをちょっとだけ茶髪に染めたのだ。ボイッシュに磨きがかかったと思っている。懲りない内藤くんは、私を見てため息をつくのだ。私はキミのものになんかならないよ。って、おっと、彼だ、彼。


 私は立ち上がって「あら、季節外れの入部希望者ね?」と彼の顔を見て言う。私より背が15センチくらい高いかな?ブルーのボタンダウン、黄色のセーター、黒のチノパンツにデッキシューズ。私はというと、黒のブランドロゴがデザインされたTシャツ、白の脚にフィットしたチノパンツにスニーカー。あら、お似合いよね?って、忘れちゃいけない。彼には彼女がいるんだった。


「二年生で出遅れの入部希望者です」と彼が言う。「二年生から部活なんて珍しいわね。どうぞ、歓迎するわ」と言って私が座っていたベンチシートの横をパンパンと叩いた。隣に座ってねってこと。


 私は本棚からノートを持ってきて「ここに記入して」と彼にノートのページを指し示した。氏名、生年月日、住所、電話番号、学生証番号、所属学部学科、美術部でやりたいこと欄などなど。


 彼がノートに記入しているのを覗き込んだ。「名前は、宮部明彦くんって言うんだ。物理科の二年生ね。ふ~ん、私は雅子、小森雅子よ。よろしくね。化学科の三年生よ」


「あ!小森さん、先輩なんですね?」やっぱり、私を覚えているはずないわねえ。
「先輩って言っても、宮部くんは五月生まれじゃない?私は同じ年の一月生まれだから、四ヶ月年上なだけよ」
「ちょっとだけお姉さまなんですね」
「でも、年上には変わりないわね。部費は月に千円だけど、持ち合わせある?」と聞いた。
「じゃあ、今年度の残り、十一ヶ月分、まとめて払います」と言う。
「リッチやなあ」と思わず方言が出てしまった。田舎の子だと思われるかしら?あれ?でも、私の方言を聞くと、私の顔をジッと見た。え?方言好きなん?


 GWも過ぎて、週にニ、三日、宮部くんは部室に顔を出すようになった。体育会系の部活でもないので、部員は三々五々集まっては、とりとめのない話をしたり、急に部員同士がモデルになって、クロッキーなんかをしている。彼は、部員同士の話を黙って聴いている。私は彼に自分は京都出身だと説明した。普通は標準語で話しているが、何かの拍子で京都弁が出るのよ、と。彼はだんだん慣れてきて、雅子さんと私を呼ぶようになった。ちょっとうれしい。私も彼を明彦と名前で呼ぶようにした。明彦と呼ぶと内藤くんが私を見る。馴れ馴れしいかな?

ヒメと明彦 第2章、ヒメと明彦 Ⅷ に続く。