奴隷商人とその時代 Ⅲ
奴隷商人とその時代 Ⅲ
●イスラムの一夫多妻制度
●奴隷制度
●奴隷制度・ハレムと一夫多妻制
●奴隷商人ムラーの商売
●イスラムの一夫多妻制度
3項で、ハレムと聞くと、オスマン帝国のハレム制度を想像する人は多い。『ハレム』自体、トルコ語だから、紀元前46年の世界では、現代のトルコ共和国のアジア部分、アナトリア半島はローマ帝国の属領なので、中近東・エジプト世界でハレムという言葉も概念もこの時代では存在しない。
西暦610年頃、モハメッドがメッカ郊外で天使ジブリール(キリスト教では大天使ミカエル)より唯一神、アッラーの啓示を受けたと主張し、アラビア半島でイスラーム教を始めた。
コーランでは、モハメッドの自宅に頻繁に出入りする信徒たちともモハメッドの家族の居室の間を厳密に区切り、両者の無闇な行き来や会話を戒めた規定がみられる。コーラン第2章によれば、預言者モハメッドには4人を超える妻が認められていた。実際には22人が確認されており、正式に結婚したのが16人、妾が4人、その他が2人となっている。これは、イスラム教の教義として認められている。モハメッドは特例だった。
同じく、コーランでは、ムスリムの女性は、貞節を固く守るべきとの戒めが説かれている。これを後世の信者たちは、預言者の家族に関する規定と女性の貞潔義務の規定を厳密に適用するためとして、家屋の中にハレムの領域、つまり、訪問者の立ち入りが禁じられた空間を置くようになった。
モハメッドは例外として、コーランでは、一般人は妻は4人までと規定された。正当な理由があれば5人以上の妻を持ってもよいとされている。
●奴隷制度
そもそも、アラビア起源、特に、イスラム教が始まってからのハレムとそれ以前のハレムは違う。
ハレムの習慣は、古代の地中海世界において、家族の女性の居室を隔離した風習があったから、モハメッド・イスラム教が始めたわけでもなんでもない。紀元前からハレムは中近東には存在したのだ。そして、一夫一婦制でもなかった。一夫多妻制だったから、女性の隔離が必要となった。
さて、ここで言う妻の定義だが、古代ローマ・エジプト世界では、ローマ市民権を持つ自由人、市民権を持たない自由人、奴隷、という階層があった。
奴隷とは、戦争捕虜か、女奴隷が産んだ子。このほか貧しい者が借金返済のために自らを売ることもあれば、人買いにさらわれてきて奴隷になる者もいる。
奴隷は家族をもたず、結婚の権利と義務から切り離され、存在理由そのものを主人から押しつけられ、名前も主人から与えられる。
奴隷は自分の個人財産をもつことが一般的に許されていた。ただし、法律上はあくまで主人の所有者とされた。結婚も、法律上は認められなかったものの、一般的には主人が事実婚を認めていた。
奴隷の所有者、つまり主人が自分の所有する奴隷を奴隷身分から開放して自由人とすることもしばしばあった。奴隷の解放は、タダではない。奴隷価値の5%を税金として納めなければならなかった。多くの奴隷が解放されると、それだけ国の税収も増える仕組みになっていた。
奴隷商人とその時代 Ⅲ に続く。
奴隷商人とその時代 (続き)
奴隷商人とその時代 Ⅳ
●紀元前46、47年前後の出来事
●古代ローマの浴場
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奴隷商人とその時代
奴隷商人とその時代 Ⅰ
奴隷商人とその時代 Ⅱ
●古代の鏡
奴隷商人とその時代 Ⅲ
●イスラムの一夫多妻制度
●奴隷制度
●奴隷制度・ハレムと一夫多妻制
●奴隷商人ムラーの商売
シリーズ『奴隷商人』
奴隷商人 Ⅰ
奴隷商人 Ⅱ
奴隷商人 Ⅲ
奴隷商人 Ⅳ
奴隷商人 Ⅴ
奴隷商人 Ⅵ
奴隷商人 Ⅶ
奴隷商人 Ⅷ
奴隷商人 Ⅸ

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